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| Recorded = {{Unbulleted list|'''レコーディング'''|<small>セディックスタジオ|[[Bunkamura|TOKYU FUN STUDIO]]|スタジオテラ|エムアイティスタジオ</small>|'''ミックス・ダウン'''|<small>セディックスタジオ</small>}}
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| Length = 49分22秒<ref>{{Cite web|和書 |url=/proxy/https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009057587-00 |title=吉川晃司/ルナティック・ライオン (東芝EMI): 1991 |website=国立国会図書館サーチ |publisher=[[国立国会図書館]] |language=ja |accessdate=2023-12-31}}</ref>
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| Producer = {{Hlist-comma|吉川晃司|[[後藤次利]]}}
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| Chart position = *2位([[オリコンチャート|オリコン]]){{Sfn|オリコンチャート・ブック アルバムチャート編|1999|p=41}}
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| Last album = 『[[FAVORITE SOUNDS ...1988]]』<br />(1988年)
| Last album = 『[[FAVORITE SOUNDS ...1988]]』<br />(1988年)
| This album = 『'''LUNATIC LION'''』<br />(1991年)
| This album = 『'''LUNATIC LION'''』<br />(1991年)
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| Single 1 date = 1991年4月12日
| Single 1 date = 1991年4月12日
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| EAN = {{Collapsible list |title = JAN一覧 |1 = {{JAN|4988006084360}}(1991年・CD)<br />{{JAN|4988006210271}}(2007年・CD)<br />{{JAN|4943674169634}}(2014年・CD)}}
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『'''LUNATIC LION'''』(ルナティック・ライオン)は、日本の[[シンガーソングライター]]である[[吉川晃司]]の7枚目の[[スタジオ・アルバム|オリジナル・アルバム]]。
『'''LUNATIC LION'''』(ルナティック・ライオン)は、日本の[[シンガーソングライター]]である[[吉川晃司]]の7枚目の[[スタジオ・アルバム|オリジナル・アルバム]]。
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[[1991年]][[5月17日]]に[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]のイーストワールドからリリースされた。前作『[[GLAMOROUS JUMP]]』(1987年)よりおよそ4年半ぶりにリリースされた作品であり、[[布袋寅泰]]との[[音楽ユニット]]である[[COMPLEX (音楽ユニット)|COMPLEX]]の活動休止後にリリースされたソロ復帰作となっている。
[[1991年]][[5月17日]]に[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]のイーストワールドからリリースされた。前作『[[GLAMOROUS JUMP]]』(1987年)よりおよそ4年半ぶりにリリースされた作品であり、[[布袋寅泰]]との[[音楽ユニット]]である[[COMPLEX (音楽ユニット)|COMPLEX]]の活動休止後にリリースされたソロ復帰作となっている。


[[バンダイ・ミュージックエンタテインメント|SMSレコード]]所属時代のアルバムに多く参加した[[後藤次利]]の全面協力による吉川初のセルフ・プロデュース作品となっており、レコーディングには[[DER ZIBET]]のギタリストである吉田光、[[ホッピー神山]]、[[小田原豊]]、[[山木秀夫]]、[[大村憲司]]などが参加している。SMSレコード時代のアルバムと打って変わったルナティック(月光狂)をテーマにした[[コンセプト・アルバム]]となっており、全体的にゴシックホラーを思わせる雰囲気となっている。
[[バンダイ・ミュージックエンタテインメント|SMSレコード]]所属時代のアルバムに多く参加した[[後藤次利]]の全面協力による吉川初のセルフ・プロデュース作品となっており、レコーディングには[[DER ZIBET]]のギタリストである吉田光、[[ホッピー神山]]、[[小田原豊]]、[[山木秀夫]]、[[大村憲司]]などが参加している。SMSレコード時代のアルバムと打って変わったルナティック(月光狂)をテーマにした[[コンセプト・アルバム]]となっており、全体的に[[ゴシック小説|ゴシックホラー]]を思わせる雰囲気となっている。


本作は[[オリコンチャート|オリコンアルバムチャート]]において最高位第2位となり、売り上げ枚数は20万枚を超えたため[[日本レコード協会]]からゴールド認定を受けている。本作からは先行シングルとして[[三貴]]「ブティックJOY」の[[コマーシャルソング]]として使用された「[[Virgin Moon]]」が[[シングルカット]]されたが、本作にはアルバム・バージョンが収録されている。
本作は[[オリコンチャート|オリコンアルバムチャート]]において最高位第2位となり、売り上げ枚数は20万枚を超えたため[[日本レコード協会]]からゴールド認定を受けている。本作からは先行シングルとして[[三貴]]「ブティックJOY」の[[コマーシャルソング]]として使用された「[[Virgin Moon]]」が[[シングルカット]]されたが、本作にはアルバム・バージョンが収録されている。
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1988年5月6日および5月9日に[[日本武道館]]における単独公演「武道館スペシャル "BACK TO ZERO"」を実施した[[吉川晃司]]は、同公演を最後に[[渡辺プロダクション]]から事務所を独立させることになった{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=61|ps= - 「ALL DATA 10 YEARS HISTORY」より}}。同年12月10日には[[BOØWY]]を解散しソロ・デビューを果たしていた[[布袋寅泰]]とともに[[音楽ユニット]]である[[COMPLEX (音楽ユニット)|COMPLEX]]の結成を発表する{{Sfn|布袋寅泰|2006|p=192|ps= - 「第四楽章 ギター主義」より}}{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=62|ps= - 「ALL DATA 10 YEARS HISTORY」より}}。契約上の問題で1年程度活動が不可能となっていた吉川は、日本武道館公演の翌日から音信不通となり1年程度は海外旅行など休暇を取ることに専念していた{{Sfn|月刊カドカワ|1993|pp=36 - 37|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。その後吉川はCOMPLEXとして1989年4月8日にデビュー・シングル「[[BE MY BABY]]」、4月26日にファースト・アルバム『[[COMPLEX (アルバム)|COMPLEX]]』をリリースした{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=62|ps= - 「ALL DATA 10 YEARS HISTORY」より}}。[[オリコンチャート]]においてはシングルおよびアルバム両方で最高位第1位を獲得{{Sfn|オリコンチャート・ブック アーティスト編|1997|p=124}}{{Sfn|オリコンチャート・ブック アルバムチャート編|1999|p=54}}。しかし両者の音楽に対する価値観の違いから確執が生まれ、2枚目のアルバム『[[ROMANTIC 1990]]』(1990年)は両者が全く顔を合わさずに分業体制で制作が行われた{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=39|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。1990年11月8日には[[東京ドーム]]において最終公演となる「ROMANTIC EXTRA」を実施、同公演を以ってCOMPLEXは活動休止となった{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=62|ps= - 「ALL DATA 10 YEARS HISTORY」より}}。1991年1月23日には前述の公演を収録したライブ・アルバム『[[19901108]]』がリリースされ、4月12日にはソロ復帰作となるシングル「[[Virgin Moon]]」がリリースされた{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=62|ps= - 「ALL DATA 10 YEARS HISTORY」より}}。
1988年5月6日および5月9日に[[日本武道館]]における単独公演「武道館スペシャル "BACK TO ZERO"」を実施した[[吉川晃司]]は、同公演を最後に[[渡辺プロダクション]]から事務所を独立させることになった{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=61|ps= - 「ALL DATA 10 YEARS HISTORY」より}}。同年12月10日には[[BOØWY]]を解散しソロ・デビューを果たしていた[[布袋寅泰]]とともに[[音楽ユニット]]である[[COMPLEX (音楽ユニット)|COMPLEX]]の結成を発表する{{Sfn|布袋寅泰|2006|p=192|ps= - 「第四楽章 ギター主義」より}}{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=62|ps= - 「ALL DATA 10 YEARS HISTORY」より}}。契約上の問題で1年程度活動が不可能となっていた吉川は、日本武道館公演の翌日から音信不通となり1年程度は海外旅行など休暇を取ることに専念していた{{Sfn|月刊カドカワ|1993|pp=36 - 37|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。その後吉川はCOMPLEXとして1989年4月8日にデビュー・シングル「[[BE MY BABY]]」、4月26日にファースト・アルバム『[[COMPLEX (アルバム)|COMPLEX]]』をリリースした{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=62|ps= - 「ALL DATA 10 YEARS HISTORY」より}}。[[オリコンチャート]]においてはシングルおよびアルバム両方で最高位第1位を獲得{{Sfn|オリコンチャート・ブック アーティスト編|1997|p=124}}{{Sfn|オリコンチャート・ブック アルバムチャート編|1999|p=54}}。しかし両者の音楽に対する価値観の違いから確執が生まれ、2枚目のアルバム『[[ROMANTIC 1990]]』(1990年)は両者が全く顔を合わさずに分業体制で制作が行われた{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=39|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。1990年11月8日には[[東京ドーム]]において最終公演となる「ROMANTIC EXTRA」を実施、同公演を以ってCOMPLEXは活動休止となった{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=62|ps= - 「ALL DATA 10 YEARS HISTORY」より}}。1991年1月23日には前述の公演を収録したライブ・アルバム『[[19901108]]』がリリースされ、4月12日にはソロ復帰作となるシングル「[[Virgin Moon]]」がリリースされた{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=62|ps= - 「ALL DATA 10 YEARS HISTORY」より}}。


== 制作、音楽性 ==
== 録音、制作 ==
{{Quote box|width=230px|align=right|quote=デジタルなものから、もっとプリミティブなものへっていう変化の始まり的なアルバムだな。正直言って、プレッシャーはきつかった。何か作んなきゃいけないんだろうなっていう…。(中略)何か、テーマを決めよう、決めようと思ってたんだよね、たとえば月 (MOON) とか。ちょっと固執しすぎたなっていう感じ。テーマめいたものに寄っていくっていうのは、初めてだった。|source=吉川晃司, <br />{{Small2|月刊カドカワ 1993年3月号}}{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}}}
{{Quote box|width=230px|align=right|quote=デジタルなものから、もっとプリミティブなものへっていう変化の始まり的なアルバムだな。正直言って、プレッシャーはきつかった。何か作んなきゃいけないんだろうなっていう…。(中略)何か、テーマを決めよう、決めようと思ってたんだよね、たとえば月 (MOON) とか。ちょっと固執しすぎたなっていう感じ。テーマめいたものに寄っていくっていうのは、初めてだった。|source=吉川晃司, <br />{{Small2|月刊カドカワ 1993年3月号}}{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}}}
本作は[[ベーシスト]]の[[後藤次利]]が全面協力した上での吉川初のセルフ・プロデュース作品となった<ref name="cdjournal">{{Cite web |和書 |url=/proxy/https://artist.cdjournal.com/d/-/1291070509 |title=吉川晃司 / ルナティック・ライオン <nowiki>[廃盤]</nowiki> |website=CDジャーナル |publisher=[[音楽出版社 (企業)|音楽出版社]] |language=ja |accessdate=2023-12-31}}</ref>{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。吉川にれば本作はデジタルな制作方法からプリミティブなもへ変化する最初のアルであるという{{Sfn|月刊カカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全ム解説」より}}。COMPLEX活動休止後初のアルバムということもあり制作時における「プレッシャーはきつかった」吉川は述べ、「もう怒涛の中で作っっていう感じよ。怒涛の中作った怒涛アルムで、うるさくてしようがいっていう(笑)」も述べいる。かしCOMPLEXから尾を引いている部分はなく、吉川曰く「むしろ一人になって“ヨッシャ!”って言ったら、そ“ヨッシャ!”声が大きすぎてつんのめっちゃったって感じ」と述べてる{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。本作はテーマありきで制作が進められ、「月」というテーマなどを決定したもの、吉川は「固執しすぎた」と述べてり、テーマを決めた上での制作は初めてのことであっ「頭のいいことしようと思ったの、先ずは僕らしくな雑食がちょっ焼き肉ばっか食って腹こわしちゃっ状態(笑)」と述べている{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}
本作は[[ベーシスト]]の[[後藤次利]]が全面協力した上での吉川初のセルフ・プロデュース作品となった<ref name="cdjournal">{{Cite web |和書 |url=/proxy/https://artist.cdjournal.com/d/-/1291070509 |title=吉川晃司 / ルナティック・ライオン <nowiki>[廃盤]</nowiki> |website=CDジャーナル |publisher=[[音楽出版社 (企業)|音楽出版社]] |language=ja |accessdate=2023-12-31}}</ref>{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。後藤は1973年に[[小坂忠|小坂忠とフォージョーハーフ]]や[[田拓郎|しだたくろう]]セッションンドである[[六文銭 (音楽ユニット)|六文銭]]に参加、その後は[[トランザム (バン)|トランザム]]や[[ティン・パン・アレー (バンド)|ティン・パン・レー]]などのセッションに参加した他、[[サディスティック・ミカ・ンド]]のアルバム『HOT! MENU』(1975年)のレコーディングに参加さら同バンドの解散後には[[高橋幸宏]]よび[[高中正義]]、[[今井裕 (ミュージシャン)|今井裕]]共に結成し[[サディスティックス]]での活動やソロ活動開始後には[[NOBODY (ロックンド)|NOBODY]]所属の相沢行夫共に[[矢沢永吉]]のバックバンドとし活動していた<ref name="okmusic20240131_2">{{Cite web|和書 |url=/proxy/https://okmusic.jp/news/546502?page=2 |title=吉川晃司ソロ復帰へ意気込みを感じざるを得なアツきセルフプロデュース作品『LUNATIC LION』 |author= |date=2024-01-31 |website=[[OKWAVE|OKMusic]] |publisher=ジャパンミュージックネットワーク |page=2 |language=ja |accessdate=2023-12-02 |archiveurl=/proxy/https://web.archive.org/web/20240201112924/https://okmusic.jp/news/546502?page=2 |archivedate=2024-02-01}}</ref>の後吉川の3枚目のアルバム『[[INNOCENT SKY]]』(1985年)や4枚目のアルバム『[[MODERN TIME]]』(1986年)に全楽曲編曲を手掛け5枚目アルバム『[[A-LA-BA・LA-M-BA]]』(1987年)におても全11曲中4曲の編曲後藤手掛けてた<ref name="okmusic20240131_2"/>また[[んねるず]]や[[おニャン子クラブ]]への楽曲提供も多数行って<ref name="okmusic20240131_2"/>

吉川によれば本作はデジタルな制作方法からプリミティブなものへ変化する最初のアルバムであるという{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。COMPLEX活動休止後初のアルバムということもあり、制作時における「プレッシャーはきつかった」と吉川は述べ、「もう怒涛の中で作ったっていう感じよ。怒涛の中で作った怒涛のアルバムで、うるさくてしようがないっていう(笑)」とも述べている。しかしCOMPLEXから尾を引いている部分はなく、吉川曰く「むしろ一人になって“ヨッシャ!”って言ったら、その“ヨッシャ!”の声が大きすぎてつんのめっちゃったって感じ」と述べている{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。本作はテーマありきで制作が進められ、「月」というテーマなどを決定したものの、後に吉川は「固執しすぎた」と述べており、テーマを決めた上での制作は初めてのことであったが、「頭のいいことをしようと思ったのが、先ずは僕らしくないね。雑食が、ちょっと焼き肉ばっか食って腹こわしちゃった状態(笑)」と述べている{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。


本作では後藤とSMSレコード所属時代以来の共同作業となったが、吉川によれば以前の後藤とは全く異なる人柄となっており、当時[[ロック (音楽)|ロック]]から離れていた後藤はここぞとばかりに主張するようになっていたという{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。スタジオでの作業においては後藤と[[ホッピー神山]]が厭味の飛ばし合いで殺伐とした雰囲気になっており、吉川はかなり疲弊したと述べている{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。最終的には[[ミキシング|トラックダウン]]において余計な音を全部取り払った上で吉川が自身の好む音にまとめた結果、後藤と神山は「ない! 音が!」と激怒したと吉川は述べている{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。音を大幅に削除したことについて吉川は「それをやるしかなかった」と述べ、[[ベース (弦楽器)|ベース]]の後に[[キーボード (楽器)|キーボード]]を録音した後に、さらに新たにベースを録音すると後藤が言い出しいつまでも終わらない状態に陥っており、吉川は「後々勉強になった」と述べた上でその時は「勘弁してくれよ、ホント冗談じゃねぇよ」という感想を持っていたと述べている{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。
本作では後藤とSMSレコード所属時代以来の共同作業となったが、吉川によれば以前の後藤とは全く異なる人柄となっており、当時[[ロック (音楽)|ロック]]から離れていた後藤はここぞとばかりに主張するようになっていたという{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。スタジオでの作業においては後藤と[[ホッピー神山]]が厭味の飛ばし合いで殺伐とした雰囲気になっており、吉川はかなり疲弊したと述べている{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。最終的には[[ミキシング|トラックダウン]]において余計な音を全部取り払った上で吉川が自身の好む音にまとめた結果、後藤と神山は「ない! 音が!」と激怒したと吉川は述べている{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。音を大幅に削除したことについて吉川は「それをやるしかなかった」と述べ、[[ベース (弦楽器)|ベース]]の後に[[キーボード (楽器)|キーボード]]を録音した後に、さらに新たにベースを録音すると後藤が言い出しいつまでも終わらない状態に陥っており、吉川は「後々勉強になった」と述べた上でその時は「勘弁してくれよ、ホント冗談じゃねぇよ」という感想を持っていたと述べている{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。


== 音楽性と歌詞 ==
吉川は本作を「個人的には好きなアルバム」であると述べつつも、客観的に自身を見られなかった結果「サウンドに絞り込みが足りない」ことや、「間口が開いたまんま」の作品であり、「吉川晃司の王道からちょっとハズレてるんだろうなって今は思う」と後に述べている{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。吉川はCOMPLEXからの脱却を目指すために「一回それを全部吐き出したかったんだと思う」と述べた他、「この怒涛の感じっていうのがないと、COMPLEXからスコンと抜けられなかったかもしれない気がする」とも述べている{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。収録曲である「ONLY YOU」に関して吉川は、「木陰で愛を語らうふたり」というシチュエーションについて「これはもう自分の憧れみたいなもんですね」と述べており、憧れでありながらも実際に自身がそのシチュエーションにいることを想像すると嫌悪感や羞恥心を覚えるとも発言している{{Sfn|PATi・PATi|1992|p=156|ps= - [[野中ともそ]]「吉川晃司 TOO MUCH LOVE」より}}。吉川によれば同曲は[[モータウン#モータウン・サウンド|モータウン・サウンド]]系のリズムで日本人にとっても受け入れやすい曲調となっているが、[[ポピュラー和声|コード進行]]に趣向を凝らしているため「簡単そうに聞こえて演奏も歌もけっこうたいへんだったんですよね」と述べている{{Sfn|PATi・PATi|1992|p=156|ps= - [[野中ともそ]]「吉川晃司 TOO MUCH LOVE」より}}。
吉川は本作を「個人的には好きなアルバム」であると述べつつも、客観的に自身を見られなかった結果「サウンドに絞り込みが足りない」ことや、「間口が開いたまんま」の作品であり、「吉川晃司の王道からちょっとハズレてるんだろうなって今は思う」と後に述べている{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。吉川はCOMPLEXからの脱却を目指すために「一回それを全部吐き出したかったんだと思う」と述べた他、「この怒涛の感じっていうのがないと、COMPLEXからスコンと抜けられなかったかもしれない気がする」とも述べている{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=41|ps= - 「本人自身による全アルバム解説」より}}。収録曲である「ONLY YOU」に関して吉川は、「木陰で愛を語らうふたり」というシチュエーションについて「これはもう自分の憧れみたいなもんですね」と述べており、憧れでありながらも実際に自身がそのシチュエーションにいることを想像すると嫌悪感や羞恥心を覚えるとも発言している{{Sfn|PATi・PATi|1992|p=156|ps= - [[野中ともそ]]「吉川晃司 TOO MUCH LOVE」より}}。吉川によれば同曲は[[モータウン#モータウン・サウンド|モータウン・サウンド]]系のリズムで日本人にとっても受け入れやすい曲調となっているが、[[ポピュラー和声|コード進行]]に趣向を凝らしているため「簡単そうに聞こえて演奏も歌もけっこうたいへんだったんですよね」と述べている{{Sfn|PATi・PATi|1992|p=156|ps= - [[野中ともそ]]「吉川晃司 TOO MUCH LOVE」より}}。


音楽情報サイト『[[OKWAVE|OKMusic]]』にて音楽ライターである帆苅智之は、本作がCOMPLEXの活動休止後にリリースされた作品であることを前置きに、活動休止後に吉川と布袋の両名が「一緒にやらなきゃよかった」と後悔しているエピソードを紹介した上で、帆苅は切望していたバンド活動を手放すことになった吉川には忸怩たる思いがあったのではないかと推測、そのため2曲目「LUNATIC LUNACY」の歌詞中にある「俺はやるぜ ひとりでも」からアルバムが開始され最終曲である「[[Virgin Moon]]」の歌詞中にある「俺は眠らないぜ」というフレーズで終了する本作について「並々ならぬ決意を感じざるを得ない」と述べている<ref>{{Cite web|和書 |url=/proxy/https://okmusic.jp/news/546502/ |title=吉川晃司のソロ復帰への意気込みを感じざるを得ないアツきセルフプロデュース作品『LUNATIC LION』 |author= |date=2024-01-31 |website=[[OKWAVE|OKMusic]] |publisher=ジャパンミュージックネットワーク |page=1 |language=ja |accessdate=2023-12-02 |archiveurl=/proxy/https://web.archive.org/web/20240201020115/https://okmusic.jp/news/546502/ |archivedate=2024-02-01}}</ref>。また帆苅は本作がプロデュース経験がない吉川による初のセルフ・プロデュースであることに触れた上で、かつて吉川の作品において編曲を多数手掛けた後藤がプロデュースを担当した方が物事が円滑に進んだのではないかと推測した上で、「吉川晃司は自身でプロデュースにこだわったわけで、ここからもCOMPLEXの活動休止後のソロ復帰作に対する並々ならぬ想いは汲み取れる」と述べている<ref name="okmusic20240131_2"/>。
== リリース、批評、チャート成績、ツアー ==

帆苅は本作の音楽性について「ロックのダイナミズムで突っ走ったアルバム」であると表現しており、1曲目「VOICE OF MOON」および最終曲の後半部分に当たる「月光浴」は[[器楽曲|インストゥルメンタル]]でありながらも「ロックを感じさせるサウンド」であると主張、6曲目「DUMMY」において[[民族音楽]]的なパーカッションから[[ファンク]]サウンドで展開する部分が唯一ロックではない部分であると指摘、また自身が最もロック色を感じる楽曲が10曲目「{{Ruby|永遠|ねむり}}につくまえに」であると帆苅は述べ、[[サクソフォーン|サックス]]を入れることで[[AOR]]のような雰囲気にすることも可能であるところを、印象的なギターの音色を導入している部分からも「吉川晃司がロックであることの矜持のようなものを感じてしまう」と述べている<ref name="okmusic20240131_3">{{Cite web|和書 |url=/proxy/https://okmusic.jp/news/546502?page=3 |title=吉川晃司のソロ復帰への意気込みを感じざるを得ないアツきセルフプロデュース作品『LUNATIC LION』 |author= |date=2024-01-31 |website=[[OKWAVE|OKMusic]] |publisher=ジャパンミュージックネットワーク |page=3 |language=ja |accessdate=2023-12-02 |archiveurl=/proxy/https://web.archive.org/web/20240203113702/https://okmusic.jp/news/546502?page=3 |archivedate=2024-02-03}}</ref>。それ以外にも2曲目「LUNATIC LUNACY」および3曲目「{{Ruby|不埒|ふらち}}な{{Ruby|天国|ヘブン}}」、4曲目「Jealousy Game」などアルバム冒頭において重いギターサウンドが導入された楽曲が連続している部分について「ロックのダイナミズムそのもの」であると帆苅は述べたものの、本作においてロックが体現されているのはギターサウンドだけではなく[[ベース (弦楽器)|ベース]]および[[キーボード (楽器)|キーボード]]の躍動感も影響していると述べ、「{{Ruby|不埒|ふらち}}な{{Ruby|天国|ヘブン}}」のサビ部分において両名の個性が発揮されていると主張している<ref name="okmusic20240131_3"/>。その他、本作には「DUMMY」におけるファンクサウンドのみならず11曲目「ONLY YOU」における[[スウィング (音楽)|シャッフル]]や11曲目「Virgin Moon〜月光浴」における[[ロックンロール]]などバラエティに富んだ音楽性を有していると帆苅は述べている<ref name="okmusic20240131_3"/>。

== リリース、チャート成績、ツアー ==
本作は[[1991年]][[5月17日]]に[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]のイーストワールドレーベルから[[コンパクトディスク|CD]]および[[コンパクトカセット|CT]]の2形態でリリースされた。初回生産盤は特殊ホログラフィジャケット仕様になっており、通常盤と同様の金色基調のブックレットを内包している。本作からは[[三貴]]「ブティックJOY」の[[コマーシャルソング]]として使用された「[[Virgin Moon]]」が先行シングルとしてリリースされた。本作は[[オリコンチャート|オリコンアルバムチャート]]において、最高位第2位の登場週数9回で売り上げ枚数は23.1万枚となった{{Sfn|オリコンチャート・ブック アルバムチャート編|1999|p=41}}。

本作を受けたコンサートツアーは「Lunatic LUNACY TOUR 1991」と題し、1991年5月10日の[[Shibuya O-EAST|渋谷ON AIR]]公演を皮切りに、7月24日の[[日本武道館]]公演まで21都市全25公演が実施された<ref>{{Cite web |和書 |url=/proxy/https://www.livefans.jp/groups/5769 |title=吉川晃司 -LUNATIC LUNACY1991 |website=LiveFans |publisher=SKIYAKI APPS |accessdate=2023-12-31}}</ref>。バンド演奏への願望が残っていた吉川はレコーディング時とほぼ同じメンバーをツアーに帯同させたが、個別にプロ意識があるミュージシャンが集合することとバンド活動は異なるものであると実感したと吉川は述べている{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=63|ps= - 「ALL DATA 10 YEARS HISTORY」より}}。同年12月11日および12日、31日には単独公演「1991 LAST SPECIAL EVENT "ROLLING VOICE-Noise1-"」を日本武道館および[[大阪城ホール]]にて実施した{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=63|ps= - 「ALL DATA 10 YEARS HISTORY」より}}<ref>{{Cite web |和書 |url=/proxy/https://www.livefans.jp/groups/41409 |title=吉川晃司 -1991 LAST SPECIAL EVENT "ROLLING VOICE-Noise1-" |website=LiveFans |publisher=SKIYAKI APPS |accessdate=2023-12-31}}</ref>。

CD盤はその後2006年12月13日に[[ボックス・セット|CD-BOX]]『[[THE EMI BOX]]』に収録される形で[[デジパック]]仕様の[[デジタルリマスター|デジタル・リマスタリング]]盤として再リリースされた<ref>{{Cite web|和書 |url=/proxy/https://www.cdjournal.com/main/news/-/13521 |title=吉川晃司、東芝EMI時代のアルバムをまとめたBOXセットが登場! |author= |date= 2006-11-28 |website=CDジャーナル |publisher=[[音楽出版社 (企業)|音楽出版社]] |language=ja |accessdate=2023-12-31}}</ref>。2007年3月14日には[[ディスクジャケット|紙ジャケット]]仕様として再リリースされ、2014年5月14日には24bitデジタルリマスタリングが施された[[スーパー・ハイ・マテリアルCD|SHM-CD]]仕様にて再リリースされた<ref>{{Cite web |和書 |url=/proxy/https://tower.jp/article/feature_item/2014/03/03/0710 |title=吉川晃司のオリジナル・アルバムが一挙再発 |author= |date=2014-03-03 |website=TOWER RECORDS ONLINE |publisher=[[タワーレコード]] |language=ja |accessdate=2023-12-02}}</ref>。2014年5月28日には[[ボックス・セット|CD-BOX]]『[[Complete Album Box]]』に収録される形で紙ジャケット仕様のデジタル・リマスタリング盤として再リリースされた<ref>{{Cite web|和書 |url=/proxy/https://www.barks.jp/news/?id=1000099528 |title=吉川晃司、デビュー30周年当日にツアー開催と4つのアニバーサリー作品リリースを発表 |author= |date=2014-02-01 |website=[[BARKS]] |publisher=ジャパンミュージックネットワーク |language=ja |accessdate=2023-12-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=/proxy/https://okmusic.jp/news/30224 |title=吉川晃司、30周年記念ライブ開催&30周年を彩る作品全4シリーズ発売を発表! |author= |date=2014-02-01 |website=[[OKWAVE|OKMusic]] |publisher=ジャパンミュージックネットワーク |language=ja |accessdate=2023-12-02 |archiveurl=/proxy/https://web.archive.org/web/20231118094652/https://okmusic.jp/news/30224 |archivedate=2023-11-18}}</ref>。

== 批評 ==
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}}
本作は[[1991年]][[5月17日]]に[[EMIミュージック・ジャパ|東芝EMI]]のイーストワールベルから[[コンパクトディスク|CD]]および[[コンパクトセット|CT]]の2形態でリリースされた。初回生産盤特殊ホログラフィジャケット仕様になっており、通常盤と同様の金色基調のブックレットを内包している。本作からは[[三貴]]「ブティックJOY」の[[コマーシャルソング]]として使用された「[[Virgin Moon]]」が先行シングルとしてリリースされた。音楽情報サイト『CDジャーナル』では本作が吉川によるセルフ・プロデュースによる力作であると指摘、テクニカルなミュージシャンが参加していることや吉川のボーカルに対して「サウンドはパワー全開。ヴォーカルも気合い十分」と好意的な評価を下したが、一方で歌詞については「薄味すぎる」と指摘した上で「思わせぶりが裏目に」と否定的に評価している<ref name="cdjournal"/>。本作は[[オリコンチャート|オリコンアルバムチャート]]において、最高位第2位の登場週数9回で売り上げ枚数は23.1万枚となった{{Sfn|オリコンチャート・ブック アルバムチャート編|1999|p=41}}
批評家たちの本作のサウンド面やボーカルに対する評価肯定的なものとなっており、音楽情報サイト『CDジャーナル』では本作が吉川セルフ・プロデュースによる力作であると指摘、テクニカルなミュージシャンが参加していることや吉川のボーカルに対して「サウンドはパワー全開。ヴォーカルも気合い十分」と肯定に評価<ref name="cdjournal"/>、音楽情報サイト『OKMusic』にて帆苅は、バラエティに富んだ楽曲群が成立しているのは「名うてのプレイヤーの確か手腕があってのことだろう」と主張、また吉川のボーカルに関しては「強固なメンバーが彩ったサウンドに乗せた吉川晃司のボーカルの力強く、自信に満ちあふれた様子」が感じられると評価した他、4曲目や9曲目に関しては「ワイルドでありならもどっしりとした確かな存在感。何と言ってもセクシーだ。吉川晃司でしか出せない男の色気に溢れている」「日本語を英語っぽく発音する“巻き舌唱法”も吉川晃司を象徴する歌唱ではあろうが、腹から低音を艶めかしく出すような歌い方もまた、デビュー当時から変わらぬ吉川晃司特有のものであろう」と肯定的に評価した<ref name="okmusic20240131_3"/>。一方で歌詞について『CDジャーナル』では「薄味すぎる」と指摘した上で「思わせぶりが裏目に」と否定的に評価している<ref name="cdjournal"/>。

本作を受けたコンサートツアーは「Lunatic LUNACY TOUR 1991」と題し、1991年5月10日の[[Shibuya O-EAST|渋谷ON AIR]]公演を皮切りに、7月24日の[[日本武道館]]公演まで21都市全25公演が実施された<ref>{{Cite web |和書 |url=/proxy/https://www.livefans.jp/groups/5769 |title=吉川晃司 -LUNATIC LUNACY1991 |website=LiveFans |publisher=SKIYAKI APPS |accessdate=2023-12-31}}</ref>。バンド演奏への願望が残っていた吉川はレコーディング時とほぼ同じメンバーをツアーに帯同させたが、個別にプロ意識があるミュージシャンが集合することとバンド活動は異なるものであると実感したと吉川は述べている{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=63|ps= - 「ALL DATA 10 YEARS HISTORY」より}}。同年12月11日および12日、31日には単独公演「1991 LAST SPECIAL EVENT "ROLLING VOICE-Noise1-"」を日本武道館および[[大阪城ホール]]にて実施した{{Sfn|月刊カドカワ|1993|p=63|ps= - 「ALL DATA 10 YEARS HISTORY」より}}<ref>{{Cite web |和書 |url=/proxy/https://www.livefans.jp/groups/41409 |title=吉川晃司 -1991 LAST SPECIAL EVENT "ROLLING VOICE-Noise1-" |website=LiveFans |publisher=SKIYAKI APPS |accessdate=2023-12-31}}</ref>。

CD盤はその後2006年12月13日に[[ボックス・セット|CD-BOX]]『[[THE EMI BOX]]』に収録される形で[[デジパック]]仕様の[[デジタルリマスター|デジタル・リマスタリング]]盤として再リリースされた<ref>{{Cite web|和書 |url=/proxy/https://www.cdjournal.com/main/news/-/13521 |title=吉川晃司、東芝EMI時代のアルバムをまとめたBOXセットが登場! |author= |date= 2006-11-28 |website=CDジャーナル |publisher=[[音楽出版社 (企業)|音楽出版社]] |language=ja |accessdate=2023-12-31}}</ref>。2007年3月14日には[[ディスクジャケット|紙ジャケット]]仕様として再リリースされ、2014年5月14日には24bitデジタルリマスタリングが施された[[スーパー・ハイ・マテリアルCD|SHM-CD]]仕様にて再リリースされた<ref>{{Cite web |和書 |url=/proxy/https://tower.jp/article/feature_item/2014/03/03/0710 |title=吉川晃司のオリジナル・アルバムが一挙再発 |author= |date=2014-03-03 |website=TOWER RECORDS ONLINE |publisher=[[タワーレコード]] |language=ja |accessdate=2023-12-02}}</ref>。2014年5月28日には[[ボックス・セット|CD-BOX]]『[[Complete Album Box]]』に収録される形で紙ジャケット仕様のデジタル・リマスタリング盤として再リリースされた<ref>{{Cite web|和書 |url=/proxy/https://www.barks.jp/news/?id=1000099528 |title=吉川晃司、デビュー30周年当日にツアー開催と4つのアニバーサリー作品リリースを発表 |author= |date=2014-02-01 |website=[[BARKS]] |publisher=ジャパンミュージックネットワーク |language=ja |accessdate=2023-12-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://web.archive.org/web/20140808212542/https://okmusic.jp/news/30224 |title=吉川晃司、30周年記念ライブ開催&30周年を彩る作品全4シリーズ発売を発表! |author= |date=2014-02-01 |website=[[OKWAVE|OKMusic]] |publisher=ジャパンミュージックネットワーク |language=ja |accessdate=2023-12-02}}</ref>。


== 収録曲 ==
== 収録曲 ==

2024年9月28日 (土) 08:14時点における版

『LUNATIC LION』
吉川晃司スタジオ・アルバム
リリース
録音
  • レコーディング
  • セディックスタジオ
  • TOKYU FUN STUDIO
  • スタジオテラ
  • エムアイティスタジオ
  • ミックス・ダウン
  • セディックスタジオ
ジャンル
時間
レーベル 東芝EMI/イーストワールド
プロデュース
チャート最高順位
ゴールドディスク
  • ゴールド (RIAJ)[3]
  • 吉川晃司 アルバム 年表
    FAVORITE SOUNDS ...1988
    (1988年)
    LUNATIC LION
    (1991年)
    TOO MUCH LOVE
    (1992年)
    EANコード
    『LUNATIC LION』収録のシングル
    1. Virgin Moon
      リリース: 1991年4月12日
    テンプレートを表示

    LUNATIC LION』(ルナティック・ライオン)は、日本のシンガーソングライターである吉川晃司の7枚目のオリジナル・アルバム

    1991年5月17日東芝EMIのイーストワールドからリリースされた。前作『GLAMOROUS JUMP』(1987年)よりおよそ4年半ぶりにリリースされた作品であり、布袋寅泰との音楽ユニットであるCOMPLEXの活動休止後にリリースされたソロ復帰作となっている。

    SMSレコード所属時代のアルバムに多く参加した後藤次利の全面協力による吉川初のセルフ・プロデュース作品となっており、レコーディングにはDER ZIBETのギタリストである吉田光、ホッピー神山小田原豊山木秀夫大村憲司などが参加している。SMSレコード時代のアルバムと打って変わったルナティック(月光狂)をテーマにしたコンセプト・アルバムとなっており、全体的にゴシックホラーを思わせる雰囲気となっている。

    本作はオリコンアルバムチャートにおいて最高位第2位となり、売り上げ枚数は20万枚を超えたため日本レコード協会からゴールド認定を受けている。本作からは先行シングルとして三貴「ブティックJOY」のコマーシャルソングとして使用された「Virgin Moon」がシングルカットされたが、本作にはアルバム・バージョンが収録されている。

    背景

    1988年5月6日および5月9日に日本武道館における単独公演「武道館スペシャル "BACK TO ZERO"」を実施した吉川晃司は、同公演を最後に渡辺プロダクションから事務所を独立させることになった[4]。同年12月10日にはBOØWYを解散しソロ・デビューを果たしていた布袋寅泰とともに音楽ユニットであるCOMPLEXの結成を発表する[5][6]。契約上の問題で1年程度活動が不可能となっていた吉川は、日本武道館公演の翌日から音信不通となり1年程度は海外旅行など休暇を取ることに専念していた[7]。その後吉川はCOMPLEXとして1989年4月8日にデビュー・シングル「BE MY BABY」、4月26日にファースト・アルバム『COMPLEX』をリリースした[6]オリコンチャートにおいてはシングルおよびアルバム両方で最高位第1位を獲得[8][9]。しかし両者の音楽に対する価値観の違いから確執が生まれ、2枚目のアルバム『ROMANTIC 1990』(1990年)は両者が全く顔を合わさずに分業体制で制作が行われた[10]。1990年11月8日には東京ドームにおいて最終公演となる「ROMANTIC EXTRA」を実施、同公演を以ってCOMPLEXは活動休止となった[6]。1991年1月23日には前述の公演を収録したライブ・アルバム『19901108』がリリースされ、4月12日にはソロ復帰作となるシングル「Virgin Moon」がリリースされた[6]

    録音、制作

    デジタルなものから、もっとプリミティブなものへっていう変化の始まり的なアルバムだな。正直言って、プレッシャーはきつかった。何か作んなきゃいけないんだろうなっていう…。(中略)何か、テーマを決めよう、決めようと思ってたんだよね、たとえば月 (MOON) とか。ちょっと固執しすぎたなっていう感じ。テーマめいたものに寄っていくっていうのは、初めてだった。
    吉川晃司,
    月刊カドカワ 1993年3月号[11]

    本作はベーシスト後藤次利が全面協力した上での吉川初のセルフ・プロデュース作品となった[12][11]。後藤は1973年に小坂忠とフォージョーハーフよしだたくろうのセッションバンドである六文銭に参加、その後はトランザムティン・パン・アレーなどのセッションに参加した他、サディスティック・ミカ・バンドのアルバム『HOT! MENU』(1975年)のレコーディングに参加、さらに同バンドの解散後には高橋幸宏および高中正義今井裕と共に結成したサディスティックスでの活動やソロ活動開始後にはNOBODY所属の相沢行夫などと共に矢沢永吉のバックバンドとして活動していた[13]。その後吉川の3枚目のアルバム『INNOCENT SKY』(1985年)や4枚目のアルバム『MODERN TIME』(1986年)において全楽曲の編曲を手掛けた他、5枚目のアルバム『A-LA-BA・LA-M-BA』(1987年)においても全11曲中4曲の編曲を後藤が手掛けていた[13]。また、とんねるずおニャン子クラブへの楽曲提供も多数行っていた[13]

    吉川によれば本作はデジタルな制作方法からプリミティブなものへ変化する最初のアルバムであるという[11]。COMPLEX活動休止後初のアルバムということもあり、制作時における「プレッシャーはきつかった」と吉川は述べ、「もう怒涛の中で作ったっていう感じよ。怒涛の中で作った怒涛のアルバムで、うるさくてしようがないっていう(笑)」とも述べている。しかしCOMPLEXから尾を引いている部分はなく、吉川曰く「むしろ一人になって“ヨッシャ!”って言ったら、その“ヨッシャ!”の声が大きすぎてつんのめっちゃったって感じ」と述べている[11]。本作はテーマありきで制作が進められ、「月」というテーマなどを決定したものの、後に吉川は「固執しすぎた」と述べており、テーマを決めた上での制作は初めてのことであったが、「頭のいいことをしようと思ったのが、先ずは僕らしくないね。雑食が、ちょっと焼き肉ばっか食って腹こわしちゃった状態(笑)」と述べている[11]

    本作では後藤とSMSレコード所属時代以来の共同作業となったが、吉川によれば以前の後藤とは全く異なる人柄となっており、当時ロックから離れていた後藤はここぞとばかりに主張するようになっていたという[11]。スタジオでの作業においては後藤とホッピー神山が厭味の飛ばし合いで殺伐とした雰囲気になっており、吉川はかなり疲弊したと述べている[11]。最終的にはトラックダウンにおいて余計な音を全部取り払った上で吉川が自身の好む音にまとめた結果、後藤と神山は「ない! 音が!」と激怒したと吉川は述べている[11]。音を大幅に削除したことについて吉川は「それをやるしかなかった」と述べ、ベースの後にキーボードを録音した後に、さらに新たにベースを録音すると後藤が言い出しいつまでも終わらない状態に陥っており、吉川は「後々勉強になった」と述べた上でその時は「勘弁してくれよ、ホント冗談じゃねぇよ」という感想を持っていたと述べている[11]

    音楽性と歌詞

    吉川は本作を「個人的には好きなアルバム」であると述べつつも、客観的に自身を見られなかった結果「サウンドに絞り込みが足りない」ことや、「間口が開いたまんま」の作品であり、「吉川晃司の王道からちょっとハズレてるんだろうなって今は思う」と後に述べている[11]。吉川はCOMPLEXからの脱却を目指すために「一回それを全部吐き出したかったんだと思う」と述べた他、「この怒涛の感じっていうのがないと、COMPLEXからスコンと抜けられなかったかもしれない気がする」とも述べている[11]。収録曲である「ONLY YOU」に関して吉川は、「木陰で愛を語らうふたり」というシチュエーションについて「これはもう自分の憧れみたいなもんですね」と述べており、憧れでありながらも実際に自身がそのシチュエーションにいることを想像すると嫌悪感や羞恥心を覚えるとも発言している[14]。吉川によれば同曲はモータウン・サウンド系のリズムで日本人にとっても受け入れやすい曲調となっているが、コード進行に趣向を凝らしているため「簡単そうに聞こえて演奏も歌もけっこうたいへんだったんですよね」と述べている[14]

    音楽情報サイト『OKMusic』にて音楽ライターである帆苅智之は、本作がCOMPLEXの活動休止後にリリースされた作品であることを前置きに、活動休止後に吉川と布袋の両名が「一緒にやらなきゃよかった」と後悔しているエピソードを紹介した上で、帆苅は切望していたバンド活動を手放すことになった吉川には忸怩たる思いがあったのではないかと推測、そのため2曲目「LUNATIC LUNACY」の歌詞中にある「俺はやるぜ ひとりでも」からアルバムが開始され最終曲である「Virgin Moon」の歌詞中にある「俺は眠らないぜ」というフレーズで終了する本作について「並々ならぬ決意を感じざるを得ない」と述べている[15]。また帆苅は本作がプロデュース経験がない吉川による初のセルフ・プロデュースであることに触れた上で、かつて吉川の作品において編曲を多数手掛けた後藤がプロデュースを担当した方が物事が円滑に進んだのではないかと推測した上で、「吉川晃司は自身でプロデュースにこだわったわけで、ここからもCOMPLEXの活動休止後のソロ復帰作に対する並々ならぬ想いは汲み取れる」と述べている[13]

    帆苅は本作の音楽性について「ロックのダイナミズムで突っ走ったアルバム」であると表現しており、1曲目「VOICE OF MOON」および最終曲の後半部分に当たる「月光浴」はインストゥルメンタルでありながらも「ロックを感じさせるサウンド」であると主張、6曲目「DUMMY」において民族音楽的なパーカッションからファンクサウンドで展開する部分が唯一ロックではない部分であると指摘、また自身が最もロック色を感じる楽曲が10曲目「永遠ねむりにつくまえに」であると帆苅は述べ、サックスを入れることでAORのような雰囲気にすることも可能であるところを、印象的なギターの音色を導入している部分からも「吉川晃司がロックであることの矜持のようなものを感じてしまう」と述べている[16]。それ以外にも2曲目「LUNATIC LUNACY」および3曲目「不埒ふらち天国ヘブン」、4曲目「Jealousy Game」などアルバム冒頭において重いギターサウンドが導入された楽曲が連続している部分について「ロックのダイナミズムそのもの」であると帆苅は述べたものの、本作においてロックが体現されているのはギターサウンドだけではなくベースおよびキーボードの躍動感も影響していると述べ、「不埒ふらち天国ヘブン」のサビ部分において両名の個性が発揮されていると主張している[16]。その他、本作には「DUMMY」におけるファンクサウンドのみならず11曲目「ONLY YOU」におけるシャッフルや11曲目「Virgin Moon〜月光浴」におけるロックンロールなどバラエティに富んだ音楽性を有していると帆苅は述べている[16]

    リリース、チャート成績、ツアー

    本作は1991年5月17日東芝EMIのイーストワールドレーベルからCDおよびCTの2形態でリリースされた。初回生産盤は特殊ホログラフィジャケット仕様になっており、通常盤と同様の金色基調のブックレットを内包している。本作からは三貴「ブティックJOY」のコマーシャルソングとして使用された「Virgin Moon」が先行シングルとしてリリースされた。本作はオリコンアルバムチャートにおいて、最高位第2位の登場週数9回で売り上げ枚数は23.1万枚となった[2]

    本作を受けたコンサートツアーは「Lunatic LUNACY TOUR 1991」と題し、1991年5月10日の渋谷ON AIR公演を皮切りに、7月24日の日本武道館公演まで21都市全25公演が実施された[17]。バンド演奏への願望が残っていた吉川はレコーディング時とほぼ同じメンバーをツアーに帯同させたが、個別にプロ意識があるミュージシャンが集合することとバンド活動は異なるものであると実感したと吉川は述べている[18]。同年12月11日および12日、31日には単独公演「1991 LAST SPECIAL EVENT "ROLLING VOICE-Noise1-"」を日本武道館および大阪城ホールにて実施した[18][19]

    CD盤はその後2006年12月13日にCD-BOXTHE EMI BOX』に収録される形でデジパック仕様のデジタル・リマスタリング盤として再リリースされた[20]。2007年3月14日には紙ジャケット仕様として再リリースされ、2014年5月14日には24bitデジタルリマスタリングが施されたSHM-CD仕様にて再リリースされた[21]。2014年5月28日にはCD-BOXComplete Album Box』に収録される形で紙ジャケット仕様のデジタル・リマスタリング盤として再リリースされた[22][23]

    批評

    専門評論家によるレビュー
    レビュー・スコア
    出典評価
    CDジャーナル否定的[12]
    OKMusic肯定的[16]

    批評家たちの本作のサウンド面やボーカルに対する評価は肯定的なものとなっており、音楽情報サイト『CDジャーナル』では本作が吉川のセルフ・プロデュースによる力作であると指摘、テクニカルなミュージシャンが参加していることや吉川のボーカルに対して「サウンドはパワー全開。ヴォーカルも気合い十分」と肯定的に評価[12]、音楽情報サイト『OKMusic』にて帆苅は、バラエティに富んだ楽曲群が成立しているのは「名うてのプレイヤーの確かな手腕があってのことだろう」と主張、また吉川のボーカルに関しては「強固なメンバーが彩ったサウンドに乗せた吉川晃司のボーカルの力強く、自信に満ちあふれた様子」が感じられると評価した他、4曲目や9曲目に関しては「ワイルドでありながらもどっしりとした確かな存在感。何と言ってもセクシーだ。吉川晃司でしか出せない男の色気に溢れている」、「日本語を英語っぽく発音する“巻き舌唱法”も吉川晃司を象徴する歌唱ではあろうが、腹から低音を艶めかしく出すような歌い方もまた、デビュー当時から変わらぬ吉川晃司特有のものであろう」と肯定的に評価した[16]。一方で歌詞について『CDジャーナル』では「薄味すぎる」と指摘した上で「思わせぶりが裏目に」と否定的に評価している[12]

    収録曲

    • CDブックレットに記載されたクレジットを参照[24]。また、1曲目および11曲目後半の「月光浴」はインストゥルメンタルとなっている。
    SIDE A
    #タイトル作詞作曲編曲時間
    1.VOICE OF MOON 菅原弘明後藤次利菅原弘明、後藤次利
    2.LUNATIC LUNACY吉川晃司吉川晃司吉田光、後藤次利
    3.不埒ふらち天国ヘブン吉川晃司吉川晃司、後藤次利後藤次利
    4.Jealousy Game吉川晃司吉川晃司ホッピー神山
    5.虚ろな悪夢吉川晃司吉川晃司、後藤次利後藤次利
    6.DUMMY吉川晃司吉川晃司ホッピー神山
    合計時間:
    SIDE B
    #タイトル作詞作曲編曲時間
    7.Weekend Shuffle吉川晃司吉川晃司、後藤次利後藤次利
    8.ONLY YOU吉川晃司吉川晃司菅原弘明、後藤次利
    9.Barbarian (LUNA MARIA)吉川晃司吉川晃司後藤次利
    10.永遠ねむりにつくまえに吉川晃司吉川晃司後藤次利
    11.Virgin Moon〜月光浴吉川晃司吉川晃司、後藤次利後藤次利
    合計時間:

    スタッフ・クレジット

    • CDブックレットに記載されたクレジットを参照[25]

    参加ミュージシャン

    録音スタッフ

    • 吉川晃司 – プロデュース
    • 後藤次利 – コ・プロデュース
    • ラリー・アレキサンダー – ミキシング・エンジニア
    • 村瀬範恭 – レコーディング・エンジニア
    • 高橋寧 – レコーディング・エンジニア
    • 伊藤康弘 – レコーディング・エンジニア
    • いとうやす – アシスタント・エンジニア
    • 高橋尚哉 – アシスタント・エンジニア
    • 福島芳樹 – アシスタント・エンジニア
    • 飯島周城 – アシスタント・エンジニア
    • ふくいひろき – アシスタント・エンジニア
    • 松村茂 – アシスタント・エンジニア
    • 安部弥生 – マスタリング・エンジニア
    • 神崎真雄(セブンス・エンタープライズ) – A&Rディレクター
    • 菅谷憲(東芝EMI) – A&Rディレクター

    その他スタッフ

    • 池村高明(セブンスエンタープライズ) – マネージメント
    • きくちよしお(セブンスエンタープライズ) – マネージメント
    • 折重静子 – トランスレーター
    • 松木直也 – スペシャル・サンクス
    • ANT(荒木一三) – スペシャル・サンクス
    • 成澤彰三(ヒップランドミュージック) – スペシャル・サンクス
    • 渡部洋二郎(ヒップランドミュージック) – スペシャル・サンクス
    • 河村嚴生(セブンスエンタープライズ) – エグゼクティブ・プロデューサー
    • 石坂敬一(東芝EMI) – エグゼクティブ・プロデューサー
    • 下河辺晴三(東芝EMI) – エグゼクティブ・プロデューサー

    チャート、認定

    チャート 最高順位 登場週数 売上数 出典
    日本(オリコン 2位 9回 23.1万枚 [2]
    国/地域 認定組織 日付 認定 売上数 出典
    日本 日本レコード協会 1991年7月 ゴールド 200,000+ [3]

    リリース日一覧

    No. リリース日 レーベル 規格 カタログ番号 備考 出典
    1 1991年5月17日 東芝EMI/イーストワールド CD TOCT-6100 初回限定特殊ホログラフィジャケット [2][12][26]
    2 CT TOTT-6100 初回限定特殊ホログラフィジャケット [2][27]
    3 2006年12月13日 EMIミュージック・ジャパン/イーストワールド CD TOCT-26125 CD-BOXTHE EMI BOX』収録、デジタルリマスタリングデジパック仕様 [28][29]
    4 2007年3月14日 TOCT-11185 紙ジャケット仕様 [30][31]
    5 2014年5月14日 ワーナーミュージック・ジャパン SHM-CD WPCL-11810 24bitデジタルリマスタリング仕様 [32][33]
    6 2014年5月28日 WPCL-11907 CD-BOX『Complete Album Box』収録、紙ジャケット仕様、24bitデジタルリマスタリング仕様 [34][35]
    7 2020年2月7日 AAC-LC - デジタル・ダウンロード [36]
    8 ロスレスFLAC - デジタル・ダウンロード [37]

    脚注

    1. ^ 吉川晃司/ルナティック・ライオン”. 国立国会図書館サーチ. 国立国会図書館. 2023年12月31日閲覧。
    2. ^ a b c d e オリコンチャート・ブック アルバムチャート編 1999, p. 41.
    3. ^ a b ゴールドディスク認定 1991年7月”. 日本レコード協会公式サイト. 日本レコード協会. 2024年7月26日閲覧。
    4. ^ 月刊カドカワ 1993, p. 61- 「ALL DATA 10 YEARS HISTORY」より
    5. ^ 布袋寅泰 2006, p. 192- 「第四楽章 ギター主義」より
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    参考文献

    外部リンク