「小松寺 (小牧市)」の版間の差分
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==概要== |
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[[小牧市]]中北部の山腹に位置する[[真言宗]][[真言宗智山派|智山派]]の[[寺院]]で、創建は[[天平勝宝]]年間と伝えられている。 |
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[[本堂]]や、所蔵品の[[千手観音菩薩]]像と[[銅]]製の釣[[灯籠]]が、市の有形[[文化財]]に指定されている。 |
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「[[天平勝宝]]年間に、行基[[菩薩]]によって創建された」と伝えられている。その後[[1173年]]([[承安]]3年)に、一帯を[[荘園]]として所有していた[[平重盛]]が建物を改築し、[[領地]]を与えたことから、彼の別称である「小松殿(または小松[[内大臣]])」から「小松」を取って、「小松寺」と称するようになった。 |
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*[[1173年]]([[承安]]3年) - 「小松寺」と称するようになる。 |
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*[[1595年]]([[文禄]]4年) - [[豊臣秀吉]]から領地を与えられる。 |
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*[[1657年]]([[明暦]]3年) - 現在の[[本堂]]の建設が行なわれる。 |
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*[[1978年]][[3月25日]] - 本堂が、[[小牧市]]の有形[[文化財]]に指定される。 |
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*[[1991年]][[3月30日]] - [[#銅製釣灯籠|銅製釣灯籠]]が、小牧市の有形文化財に指定される。 |
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*[[1998年]][[3月27日]] - [[#絹本着色千手観音菩薩像|絹本着色千手観音菩薩像]]が、小牧市の有形文化財に指定される。 |
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==所蔵品== |
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===絹本着色千手観音菩薩像=== |
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[[室町]]時代に製作されたと考えられている、[[千手観音菩薩]]を描いた[[絵画]]。他に、[[毘沙門天]]と[[不動明王]]も描かれている。[[1998年]]に、[[小牧市]]の有形[[文化財]]に指定されている。 |
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===銅製釣灯籠=== |
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[[青銅]]製の釣[[灯籠]]。[[1991年]]に、小牧市の有形文化財に指定されている。 |
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[[豊臣秀吉]]から送られた[[朱印状]]。 |
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==文化財== |
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===本堂=== |
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[[江戸時代]]初期の[[1657年]]([[明暦]]3年)に再建されたとされる建物。[[1978年]]に、小牧市の有形文化財に指定されている。 |
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なお、[[本堂]]正面にある[[鰐口]]には、「[[1646年]]([[正保]]3年)建設」と書かれている。 |
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===その他=== |
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*絹本着色千手観音菩薩像(詳細は、上記の項目「[[#絹本着色千手観音菩薩像|絹本着色千手観音菩薩像]]」参照) |
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*銅製釣灯籠(詳細は、上記の項目「[[#銅製釣灯籠|銅製釣灯籠]]」参照) |
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==所在地== |
==所在地== |
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寺院を含む一体は、地名も「小松寺(こまつじ)」となっている。 |
寺院を含む一体は、地名も「小松寺(こまつじ)」となっている。 |
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*八所[[神社|社]] |
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*小松寺団地 |
*小松寺団地 |
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*小松寺砦跡 |
*小松寺砦跡 |
2007年3月18日 (日) 03:39時点における版
小松寺 | |
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所在地 | 小牧市大字小松寺1121 |
山号 | 愛藤山 |
宗派 | 真言宗 |
本尊 | 千手観世音菩薩 |
創建年 | 天平勝宝年間(729年~749年頃) |
開基 | 行基菩薩 |
文化財 | 本堂、絹本着色千手観音菩薩像、銅製釣灯籠 |
法人番号 | 7180005008444 |
小松寺(こまつじ)とは、愛知県小牧市にある真言宗の寺。山号は、愛藤山。
概要
小牧市中北部の山腹に位置する真言宗智山派の寺院で、創建は天平勝宝年間と伝えられている。
本堂や、所蔵品の千手観音菩薩像と銅製の釣灯籠が、市の有形文化財に指定されている。
歴史
概説
「天平勝宝年間に、行基菩薩によって創建された」と伝えられている。その後1173年(承安3年)に、一帯を荘園として所有していた平重盛が建物を改築し、領地を与えたことから、彼の別称である「小松殿(または小松内大臣)」から「小松」を取って、「小松寺」と称するようになった。
鎌倉時代の1221年(承久3年)に起こった承久の乱で、寺院は焼失。以後長い間(約250年間)に渡って、廃寺となっていた。しかし「文明年間に、全慶僧侶によって再興された」と伝えられている。
1584年(天正12年)に起こった小牧・長久手の戦いでは、小松寺周辺に豊臣方が砦を築づき、陣地を張った。その後撤退する際火を付けられ、建物や宝物などが焼失。しかしその後再建され、1595年(文禄4年)に、豊臣秀吉から領地を与えられている。
江戸時代初期の1621年(元和7年)には、徳川義直から領地を与えられ、1657年(明暦3年)には、現在の本堂の建設が行なわれている。
年表
- 天平勝宝年間 - 創建
- 1173年(承安3年) - 「小松寺」と称するようになる。
- 1221年(承久3年) - 承久の乱で焼失。
- 1584年(天正12年) - 小牧・長久手の戦いで焼失。
- 1595年(文禄4年) - 豊臣秀吉から領地を与えられる。
- 1621年(元和7年) - 徳川義直から領地を与えられる。
- 1657年(明暦3年) - 現在の本堂の建設が行なわれる。
- 1978年3月25日 - 本堂が、小牧市の有形文化財に指定される。
- 1991年3月30日 - 銅製釣灯籠が、小牧市の有形文化財に指定される。
- 1998年3月27日 - 絹本着色千手観音菩薩像が、小牧市の有形文化財に指定される。
所蔵品
絹本着色千手観音菩薩像
室町時代に製作されたと考えられている、千手観音菩薩を描いた絵画。他に、毘沙門天と不動明王も描かれている。1998年に、小牧市の有形文化財に指定されている。
銅製釣灯籠
青銅製の釣灯籠。1991年に、小牧市の有形文化財に指定されている。
朱印状
文化財
本堂
江戸時代初期の1657年(明暦3年)に再建されたとされる建物。1978年に、小牧市の有形文化財に指定されている。
なお、本堂正面にある鰐口には、「1646年(正保3年)建設」と書かれている。
その他
- 絹本着色千手観音菩薩像(詳細は、上記の項目「絹本着色千手観音菩薩像」参照)
- 銅製釣灯籠(詳細は、上記の項目「銅製釣灯籠」参照)
所在地
小牧市大字小松寺1121
交通機関
こまき巡回バス(二重掘・本庄コース)の小松寺停留所下車、徒歩4分。
関連書籍
「小松寺文書」小牧市文化財資料研究員会編纂(1986年、小牧市教育委員会)
周辺
寺院を含む一体は、地名も「小松寺(こまつじ)」となっている。
- 八所社
- 小松寺団地
- 小松寺砦跡
関連項目
外部リンク
関連