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「小松寺 (小牧市)」の版間の差分

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'''小松寺'''(こまつじ)とは、[[愛知県]][[小牧市]]にある[[真言宗]]の[[寺院|寺]]。[[山号]]は、愛藤山。
'''小松寺'''(こまつじ)とは、[[愛知県]][[小牧市]]にある[[真言宗]]の[[寺院|寺]]。[[山号]]は、愛藤山。

==概要==
[[小牧市]]中北部の山腹に位置する[[真言宗]][[真言宗智山派|智山派]]の[[寺院]]で、創建は[[天平勝宝]]年間と伝えられている。

[[本堂]]や、所蔵品の[[千手観音菩薩]]像と[[銅]]製の釣[[灯籠]]が、市の有形[[文化財]]に指定されている。

==歴史==
===概説===
「[[天平勝宝]]年間に、行基[[菩薩]]によって創建された」と伝えられている。その後[[1173年]]([[承安]]3年)に、一帯を[[荘園]]として所有していた[[平重盛]]が建物を改築し、[[領地]]を与えたことから、彼の別称である「小松殿(または小松[[内大臣]])」から「小松」を取って、「小松寺」と称するようになった。

[[鎌倉時代]]の[[1221年]]([[承久]]3年)に起こった[[承久の乱]]で、寺院は焼失。以後長い間(約250年間)に渡って、廃寺となっていた。しかし「[[文明年間]]に、全慶[[僧侶]]によって再興された」と伝えられている。

[[1584年]]([[天正]]12年)に起こった[[小牧・長久手の戦い]]では、小松寺周辺に[[豊臣秀吉|豊臣方]]が[[砦]]を築づき、[[陣地]]を張った。その後撤退する際[[火]]を付けられ、建物や宝物などが焼失。しかしその後再建され、[[1595年]]([[文禄]]4年)に、豊臣秀吉から領地を与えられている。

[[江戸時代]]初期の[[1621年]]([[元和]]7年)には、[[徳川義直]]から領地を与えられ、[[1657年]]([[明暦]]3年)には、現在の[[本堂]]の建設が行なわれている。

===年表===
*[[天平勝宝]]年間 - 創建
*[[1173年]]([[承安]]3年) - 「小松寺」と称するようになる。
*[[1221年]]([[承久]]3年) - [[承久の乱]]で焼失。
*[[1584年]]([[天正]]12年) - [[小牧・長久手の戦い]]で焼失。
*[[1595年]]([[文禄]]4年) - [[豊臣秀吉]]から領地を与えられる。
*[[1621年]]([[元和]]7年) - [[徳川義直]]から領地を与えられる。
*[[1657年]]([[明暦]]3年) - 現在の[[本堂]]の建設が行なわれる。
*[[1978年]][[3月25日]] - 本堂が、[[小牧市]]の有形[[文化財]]に指定される。
*[[1991年]][[3月30日]] - [[#銅製釣灯籠|銅製釣灯籠]]が、小牧市の有形文化財に指定される。
*[[1998年]][[3月27日]] - [[#絹本着色千手観音菩薩像|絹本着色千手観音菩薩像]]が、小牧市の有形文化財に指定される。

==所蔵品==
===絹本着色千手観音菩薩像===
[[室町]]時代に製作されたと考えられている、[[千手観音菩薩]]を描いた[[絵画]]。他に、[[毘沙門天]]と[[不動明王]]も描かれている。[[1998年]]に、[[小牧市]]の有形[[文化財]]に指定されている。

===銅製釣灯籠===
[[青銅]]製の釣[[灯籠]]。[[1991年]]に、小牧市の有形文化財に指定されている。

===朱印状===
[[豊臣秀吉]]から送られた[[朱印状]]。

==文化財==
===本堂===
[[江戸時代]]初期の[[1657年]]([[明暦]]3年)に再建されたとされる建物。[[1978年]]に、小牧市の有形文化財に指定されている。

なお、[[本堂]]正面にある[[鰐口]]には、「[[1646年]]([[正保]]3年)建設」と書かれている。

===その他===
*絹本着色千手観音菩薩像(詳細は、上記の項目「[[#絹本着色千手観音菩薩像|絹本着色千手観音菩薩像]]」参照)
*銅製釣灯籠(詳細は、上記の項目「[[#銅製釣灯籠|銅製釣灯籠]]」参照)


==所在地==
==所在地==
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寺院を含む一体は、地名も「小松寺(こまつじ)」となっている。
寺院を含む一体は、地名も「小松寺(こまつじ)」となっている。


*小松寺[[神社]]
*八所[[神社|社]]
*小松寺団地
*小松寺団地
*小松寺砦跡
*小松寺砦跡

2007年3月18日 (日) 03:39時点における版

小松寺
所在地 小牧市大字小松寺1121
山号 愛藤山
宗派 真言宗
本尊 千手観世音菩薩
創建年 天平勝宝年間(729年~749年頃)
開基 行基菩薩
文化財 本堂、絹本着色千手観音菩薩像、銅製釣灯籠
法人番号 7180005008444 ウィキデータを編集
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小松寺(こまつじ)とは、愛知県小牧市にある真言宗山号は、愛藤山。

概要

小牧市中北部の山腹に位置する真言宗智山派寺院で、創建は天平勝宝年間と伝えられている。

本堂や、所蔵品の千手観音菩薩像と製の釣灯籠が、市の有形文化財に指定されている。

歴史

概説

天平勝宝年間に、行基菩薩によって創建された」と伝えられている。その後1173年承安3年)に、一帯を荘園として所有していた平重盛が建物を改築し、領地を与えたことから、彼の別称である「小松殿(または小松内大臣)」から「小松」を取って、「小松寺」と称するようになった。

鎌倉時代1221年承久3年)に起こった承久の乱で、寺院は焼失。以後長い間(約250年間)に渡って、廃寺となっていた。しかし「文明年間に、全慶僧侶によって再興された」と伝えられている。

1584年天正12年)に起こった小牧・長久手の戦いでは、小松寺周辺に豊臣方を築づき、陣地を張った。その後撤退する際を付けられ、建物や宝物などが焼失。しかしその後再建され、1595年文禄4年)に、豊臣秀吉から領地を与えられている。

江戸時代初期の1621年元和7年)には、徳川義直から領地を与えられ、1657年明暦3年)には、現在の本堂の建設が行なわれている。

年表

所蔵品

絹本着色千手観音菩薩像

室町時代に製作されたと考えられている、千手観音菩薩を描いた絵画。他に、毘沙門天不動明王も描かれている。1998年に、小牧市の有形文化財に指定されている。

銅製釣灯籠

青銅製の釣灯籠1991年に、小牧市の有形文化財に指定されている。

朱印状

豊臣秀吉から送られた朱印状

文化財

本堂

江戸時代初期の1657年明暦3年)に再建されたとされる建物。1978年に、小牧市の有形文化財に指定されている。

なお、本堂正面にある鰐口には、「1646年正保3年)建設」と書かれている。

その他

所在地

小牧市大字小松寺1121

交通機関

こまき巡回バス(二重掘・本庄コース)の小松寺停留所下車、徒歩4分。

関連書籍

「小松寺文書」小牧市文化財資料研究員会編纂(1986年、小牧市教育委員会)

周辺

寺院を含む一体は、地名も「小松寺(こまつじ)」となっている。

  • 八所
  • 小松寺団地
  • 小松寺砦跡

関連項目

外部リンク

関連

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