「山武姥山貝塚」の版間の差分
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* [http://www.pref.chiba.lg.jp/kkbunka/ |
* [http://www.pref.chiba.lg.jp/kkbunka/b-shigen/03shiseki/yokoshibahikari01.html (横芝光町)姥山貝塚] - 千葉県ホームページ 文化遺産 |
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* [http://www.echiba.org/pdf/kenrenshi/kenrenshi_035_3.pdf 横芝町山武姥山貝塚出土の縄文晩期浮線文土器群] - 千葉県教育振興財団研究連絡誌 平成4年8月 |
* [http://www.echiba.org/pdf/kenrenshi/kenrenshi_035_3.pdf 横芝町山武姥山貝塚出土の縄文晩期浮線文土器群] - 千葉県教育振興財団研究連絡誌 平成4年8月 |
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2015年5月6日 (水) 04:47時点における版
山武姥山貝塚(さんぶうばやまかいづか)は、千葉県山武郡横芝光町姥山にある縄文時代中期から晩期にかけての貝塚で、縄文晩期の姥山式(姥山 α' β' γ' δ' 式)土器の標式遺跡である。市川市の姥山貝塚と区別するため、「山武姥山貝塚」と呼ばれる。
概要
台地上に形成された貝塚であり、直径約120メートルの範囲に8箇所の貝層クラスタが谷頭に面して形成された点列環状貝塚と環状貝塚との中間と位置付けられ、縄文時代中期から晩期にかけ、今から5,000年前に始まり2,500年前迄続いた村であったと推定されている。点在する貝塚が全体で馬蹄形をなしているが、時期によって貝塚の位置が移動し、最終末になると貝塚はほとんどなくなっている。貝は、チョウセンハマグリ、ダンベイキサゴ、ヤマトシジミ、ウミニナ、バイ、シオフキを主体とする半鹹半淡の貝塚である。
1956年(昭和31年)以来、6回にわたる発掘調査が行われ数多くの遺物が発見された。
周辺
周辺には、中台貝塚、鴻ノ巣貝塚、木戸場貝塚、牛熊貝塚など多くの貝塚があり、東側に縄文時代の丸木舟が多数発見されていることで知られた水系である栗山川と、南側にそのラグーンであったと推定される坂田池がある(丸木舟の出土例は栗山川の若干上流の多古町および匝瑳市に多い)。また北側には、表情豊かな人物埴輪が出土したことで有名な芝山古墳群(殿塚・姫塚)がある。
関連項目
外部リンク
- (横芝光町)姥山貝塚 - 千葉県ホームページ 文化遺産
- 横芝町山武姥山貝塚出土の縄文晩期浮線文土器群 - 千葉県教育振興財団研究連絡誌 平成4年8月