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2016年3月26日 (土) 09:33時点における版
SHIONOGI MUSIC FAIR | |
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番組収録が行われている フジテレビ本社ビル(東京・台場) | |
ジャンル | 音楽番組 |
企画 | 塩野義製薬 |
出演者 |
鈴木杏樹 恵俊彰(ホンジャマカ) ほか |
オープニング | 歌:ゴスペラーズ |
製作 | |
プロデューサー |
石田弘(EP) 河本晃典、土田芳美、板谷栄司 |
制作 | フジテレビ |
放送 | |
音声形式 | ステレオ放送 (1978年10月3日 - ) |
放送国・地域 | 日本 |
公式サイト | |
放送開始から1969年3月まで | |
放送期間 | 1964年8月31日 - 1969年3月 |
放送時間 | 月曜日 21:00 - 21:30 |
放送分 | 30分 |
1969年4月から1981年9月まで | |
放送期間 | 1969年4月 - 1981年9月 |
放送時間 | 火曜日 21:30 - 22:00 |
放送分 | 30分 |
1981年10月から1983年9月まで | |
放送期間 | 1981年10月 - 1983年9月 |
放送時間 | 木曜日 22:30 - 23:00 |
放送分 | 30分 |
1983年10月から2001年3月まで | |
放送期間 | 1983年10月 - 2001年3月 |
放送時間 | 日曜日 23:00 - 23:30 |
放送分 | 30分 |
2001年4月から現在 | |
放送期間 | 2001年4月7日 - |
放送時間 | 土曜日 18:00 - 18:30 |
放送分 | 30分 |
回数 | 通算2,600[1] |
特記事項: 1967年5月1日放送分よりカラー化。放送回数は、2016年2月13日現在。 |
『シオノギ・ミュージック フェア』(英称 : SHIONOGI MUSIC FAIR)は、フジテレビ系列で放送中の音楽番組である。
1964年(昭和39年)8月31日に放送を開始し、2016年(平成28年)現在でも放送されている長寿番組である。また、日本でレギュラー放送されている全ての週間番組[2]の中で最長寿番組である。ハイビジョン制作および字幕放送も実施され、フジネットワークの多くの放送局に供給され放送されている。
現在の放送時間は毎週土曜日 18:00 - 18:30(JST)。フジテレビ系列各局で同時ネットされているが、一部の系列局では放送していない。
タイトルが示すように、開始当初から塩野義製薬による一社提供番組であり、冠スポンサー番組でもある。新聞の番組表などでは、「MF」「ミュージックフェア」「Mフェア」などの略称で表記される場合もある。
概要
1964年(昭和39年)3月29日に、特集番組として放送されたことに端を発し、同年8月31日よりレギュラー番組として、特集版の司会を担当した越路吹雪を司会役に据えて、本格的にスタート。落ち着いた雰囲気で、毎回違う歌手の共演を行う。
1967年5月1日放送よりモノクロからカラー放送に切り替え[3]、1978年10月3日よりステレオ放送となる。
あくまでもスタンダードナンバーを中心とする選曲、ゲストの人数を1〜3組程度に絞り込むという少数ゲスト制、アイドル歌手よりもベテラン・実力派を重用するという点で、フジテレビの他の音楽番組であった『夜のヒットスタジオ』とも異なる番組カラーを打ち出した。また、スティーヴィー・ワンダーやジャネット・ジャクソンなどの海外の大物アーティストも多数出演している。
スタッフには、大ベテランのエグゼクティブプロデューサーにして、現役ディレクターの石田弘がいる。2008年10月4日放送分(『MUSIC FAIR』改題後)は、エンディングのクレジットに『制作・フジテレビ音組』が入った。
30分番組の理由
当初から30分番組の理由は、薬事法や製薬業界の宣伝・景品に関する規約(公正競争規約)等によるものではなく、製薬会社側が自主的に31分以上の一社提供を避けているためである(紳士協定)[4][5][6][7]。※日曜夜23時(午後11時)の放送では、まずシオノギの30秒CM(『ポポンS錠』・『セデスA錠・セデス・ハイ』・『さわやかコレクト』)等のCMを放送し、本番組が始まるという構成だった。
なお参議院選挙および衆議院選挙の開票が即日になるまでの日曜日は、当日の夜も放送していた。ただし、日曜日時代の1989年1月8日は、昭和天皇崩御による報道特別番組のため休止され、翌週の1月15日に改めて放送された(この日は生前最後の同番組出演となる美空ひばり特集だった)。また、放送枠が選挙特別番組になった場合でも、23時台前半枠は、塩野義製薬の1社提供枠でセールスされていた(『スーパーナイトFNN選挙開票速報2時間スペシャル』も含む)。
土曜18時に枠移動
2001年4月7日より、番組名を『MUSIC FAIR 21』にリニューアルし、日曜23時台前半からそれまで夕方の全国ニュース(『FNNスーパータイム』→『FNNニュース ザ・ヒューマン』→『FNNスーパーニュース』)を放送していた土曜18時台前半に移動した。テーマ曲の「今夜は夢のミュージックフェア」という歌詞はそのままであるものの、以前の放送時間よりもかなり早い時間での放送となっている。
土曜夕方6時前半枠がニュース番組以外になるケースは、「あした天気になあれ」が金曜19時前半枠に移行して以来16年半ぶりとなる。
リニューアル後は、旧来からのスタイルを残しつつもVTRを用いた過去のエピソードのコーナー(転機など)や、好きな食べ物を紹介する「この一食」コーナー[8]も企画されていたが、いずれも半年程で終了し、リニューアル前の状態に戻されている。また、新しくエンディングにて出演歌手との記念撮影のコーナーも新設され、その写真が応募した視聴者にプレゼントされるという企画も行われていたが(掛け声は「ミュージックフェア21」だったが、初期は「MF21」と言っていた)、こちらも2008年9月で終了している。
リニューアル前はほぼなかったジャニーズ事務所所属アーティストの様なアイドル歌手の出演も増え始め、往時の様に必ずしも歌唱力のある者ばかりが出演しているとは限らず、リニューアル前は常連だったベテラン・実力派歌手の出演も激減する。ビッグバンドによるエコーを聴かせた独特の音響と、若干のぼかしを入れた映像演出も今では見られない。但し、2016年現在、ジャニーズ事務所所属アーティストではSMAPと嵐、KAT-TUN、Kis-My-Ft2、ジャニーズWESTのみ出演は未だにない。
『FNSの日』の放送日に関しては、2001年・2003年の場合は休止した。しかし、2004年以降は開始時間が18:30や19:00に繰り下がるようになったため、『FNSの日』の放送日でも放送されていて、2009年7月25日には『FNS26時間テレビ』の関連企画で「緊急特集ヘキサゴンファミリー総力コラボ」として放送され、同年以降の『FNSの日』は通常放送となっている。しかし、2011年からタイトルが「27時間」なのに、2012年放送回の後日(7月23日)の「笑っていいとも!」でその年の司会者であるタモリが正確には26時間24分になっているのか疑問になっていた。
2004年8月には、放送40周年を迎えた。また、2004年3月27日放送分で放送2,000回を達成した。2007年10月6日18:00(JST)から、音組とのコラボレーション企画で、公式サイトが開設。
2008年3月で放送2,200回を迎えたことに伴い、3月は1か月にわたり、2,200回特別月間として豪華アーティストの共演(最終週のみ総集編)を放送した(2008年2月21日、東京国際フォーラムにて収録)。
2009年4月以降は1組だけの企画を「ワンマンショー」と題したり、2回連続企画を定期的に行っている。2009年10月3日放送分(2,280回)からは地上アナログ放送ではレターボックスでの放送に移行した。それに伴い、再度リニューアルを実施した。 2010年3月で放送2300回を迎えたことに伴い、2月26日に大阪厚生年金会館ホールにて公開収録が行われ、3月に4週連続で2300回記念特番として放送された(翌週4月3日も総集編を放送)。
2010年12月4日放送分は同日のゴールデンタイムに『2010 FNS歌謡祭』が生放送されたため、本番組も生放送編成で『2010 FNS歌謡祭』の出演歌手がゲスト出演する形式となり、実質『2010 FNS歌謡祭』のプレ番組のような扱いであった。『2010 FNS歌謡祭』の会場には本番組の司会者である鈴木杏樹・恵俊彰も姿を見せていた。なお、土曜日のゴールデンタイムの編成を日本テレビ系列に定めているため『2010 FNS歌謡祭』を同時ネットできないテレビ大分でもこの回の本番組は通常通り同時ネットで放送された[9]。
かつては年末年始であっても通常通り放送されたが、その後少なくとも1週は休止されていて、2004年7月10日のプロ野球オールスターゲーム第1戦、2009年11月7日のプロ野球日本シリーズ第6戦『北海道日本ハムファイターズ対読売ジャイアンツ』、翌2010年11月6日の日本シリーズ第6戦『中日ドラゴンズ対千葉ロッテマリーンズ』を中継し、さらには2011年3月12日は東日本大震災関連特番を放送、2012年8月4日はロンドンオリンピックを放送、2013年7月20日はサッカー東アジアカップ2013 女子 『日本×中国』を放送、年末年始以外では珍しく本番組は休止[10]となった。
ちなみに、2004年5月22日の放送分は、放送途中で当時内閣総理大臣の小泉純一郎による日朝首脳会談のニュースが放送されたため、翌週の5月29日に改めて放送された。
1990年代後半以降のバラエティ番組や音楽番組などでは、なぞりテロップの多用が目立つが、本番組では行われていない。なお、喋った内容は字幕放送で確認できるほか、画面左上に質問内容などのヘッダが表示されている。
2010年代に入ってからの関東地区における視聴率は、5〜6%台で推移している[11]。『サイゾー』2013年8月号は「(本番組の)視聴率は下降気味だが、塩野義製薬が本番組の提供を続ける意向であることと、フジテレビが塩野義製薬から年間10億単位のスポンサー料を得ているという事情から、本番組は打ち切りの対象にならない」と報じている。
2014年8月には、放送50周年を迎えた。
2016年2月19日に、東京国際フォーラムで行われた2600回記念コンサートの公開収録された。その際、収録終盤には現在、当番組の司会を務める鈴木杏樹と恵俊彰が番組を卒業することが発表された[1]。両者は、同年3月26日放送分を以て番組を降板する。同年4月以降の後任の司会は同年2月24日にフジテレビから発表され、8代目司会として仲間由紀恵と軽部真一(フジテレビアナウンサー)が務める。
番組名について
1999年まで『ミュージックフェア』の後に西暦の下2桁('yy)を付して用いていたが、2000年以降は行っていない(これは、同局の『ドリフ大爆笑』『ニュースJAPAN』(終了)[12]にも同じ措置がなされている)。
4度目の枠移動に合わせて、2001年4月7日から2008年9月27日までの7年半の間は世紀を示す数字を加えて『MUSIC FAIR 21』(-にじゅういち)となっていたが、2008年10月4日から、再度『MUSIC FAIR』に戻っている(この英字ロゴは、長門・南田夫妻時代の最末期にあたる1980年頃から併用されている)。
オープニングテーマ
オープニングテーマ曲は保富康午作詞・山本直純作曲によるもの。編曲はその都度変わり、現在は武部聡志が担当している。
歌い手はザ・ピーナッツ→森山良子→サーカスを経て、2011年時点ではゴスペラーズが受け持っている
番組中で歌われる歌詞についてはオープニングタイトルの変更や歌手の交代に際して改定されている。1997年3月までは「♪歌おう踊ろう今夜はみんなのラララミュージックフェアー輝く喜び今夜は夢のラララミュージックフェアー」で始まっていた(後に塩野義製薬の30秒CMを挟んでからのスタートだった)。同年4月以降は一部歌詞が改められ、現在の「♪歌おう踊ろう今夜は夢のラララミュージックフェアー」となった。
なおこれとは別に、ミュージカル・アカデミーが歌唱したテーマ曲も使用されていた。このテーマ曲は、旧・CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)から発売されていた「オリジナル版懐かしのテレビ番組テーマ大全集 昭和28〜43年」に収録されていたが、現在は廃盤となっている。
オープニングタイトル・エンディングタイトル
- 1995年3月頃までは、番組の開始時にテーマソングに乗せながら出演者紹介とタイトル、そして提供クレジットの順番で流れていた。また、出演者紹介後のオープニングタイトル・エンディングタイトル(「おわり」を除く)・提供クレジットはブルーバックの中央に白く四角に抜かれた部分に表示していた('83、'87、'88はブルーバックの中央に白いラインに抜かれた部分に、'89のみブルーバックに表示)。
- 年度によって少々違っており、'79、'80、'84、'85、'86、'90、'91、'92、'93、'94はブルーバックの中央に白く四角に抜かれた部分に表示。なお、'79、'80は出演者紹介なしでタイトルへすぐ進む。'87、'88は白いラインにオレンジの縁取りがつく。'90、'91、'92、'93、'94は中央に赤い線が入る。'86は年号を除きタイトルが白く四角に抜かれた部分に、年号がブルーバックに表示。'89、'92は年号がゴシック体に、'90、'91、'93、'94、'95は年号が明朝体に表示。また、'95は番組のタイトル表示が一部変更されていた。なお司会者の挨拶および1曲目の開始はCM明けで本編が始まると次回予告前までCMが一切なかった。
- 1995年4月から1996年9月までは、以下のパターンとなった。
- 1曲目終了→司会者の挨拶→スタジオをバックに「"シオノギ MUSIC FAIR"」が画面中央に表示→表示が「提供 シオノギ製薬」に変わる→CM入り→2曲目
- 今回よりオープニングタイトル及びエンディングタイトルともに「″MUSIC FAIR″」のロゴに統一された。また、EDの提供クレジットおよび同タイトルはスタジオバックに表示されるようになった。
- 1996年10月から1997年3月までは、テーマソングに乗せながら以下のようなアニメーションで流れる。
- 「白い雲を模した背景に"MUSIC FAIR"が表示」→「楽譜」→「宝石が8個出てきて回転」→「その1個がクローズアップ」→「出演者紹介」→「楽譜に戻り、音符が大量に出て消える」→「"MUSIC FAIR"の文字が回転しながらフェードイン」→「"SHIONOGI"の文字が上に、年号が右上にそれぞれ出る」→表示が「提供 シオノギ製薬」に変わる。
- 1997年4月から1999年12月までの流れ
- 1曲目終了後→テーマソングに乗せ、「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」の文字が画面中央あたりにゆっくり拡大してきて、年号が右上に表示→画面が白い雲を模した背景になり「提供 シオノギ製薬」が表示されるが、このときからBGMがCM直前まで流れるようになった(前回では提供クレジット時は無音だった)。
- 2000年1月から2001年3月までは、以下のパターンとなった(これは、前述の通り年号が右上に表示されなくなったため)。
- 1曲目終了後→テーマソングに乗せ、「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」の文字が画面中央あたりにゆっくりと拡大→画面が白い雲を模した背景になり「提供 シオノギ製薬」が表示される。
- ただしこの時期にアーティストの曲を中心に据える回があり、このときは会場をバックに「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」とだけ表示され、すぐ1曲目に入った。そして1曲目の終了後に司会者をバックに写しながら、画面中央もしくは下部に「提供 シオノギ製薬」と表示されるのみであった(提供コメントなし)。1996年10月から1997年3月までは、司会者の挨拶および1曲目で、1997年4月から2001年3月までは、出演者の紹介および2曲目の開始はCM明けで、本編が始まると次回予告前までCMが一切なかった。また、ロゴがシオノギから "SHIONOGI" に変更されたほか、前述の1996年10月から1997年3月までのオープニングタイトルおよび提供クレジット(1997年4月から2001年3月まではOPの提供クレジット・EDの提供クレジット)およびエンディングタイトル(「おわり」も含む)は統一の白い雲を模した背景に表示していて、2001年3月まで続いた。
- 『MUSIC FAIR 21』(2001年4月 - )からは以下の流れ(現在もこの流れであるが、細部には違いがある)。
- 1曲目終了後→テーマソングに乗せ、「"SHIONOGI MUSIC FAIR 21"」(2008年9月まで。2008年10月以降は「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」)の文字が画面中央にフェードイン→ブラインドのように画面が切り替わり、「提供」の文字が上に、「シオノギ製薬」の文字が流れるように右→左と別々に表示される。
- なお、CMの開始は本編明けで、番組開始から次回予告前までCMが一切なかった。また、EDの提供クレジットおよび同タイトルは再びスタジオバックに表示されていて、タイトル部分も「おわり」から「END」に変更された。しかし、現在は「END」の表示はしておらず、その代わり「来週もお楽しみに」と表示している、前述の通り放送開始から2008年9月までは一部の回を除き記念撮影をバックにしていた。その後に、同年10月から2009年9月までは一部の回を除き次回からの出演者がトークしている映像をバックに表示されていて、タイトル部分も「END」から「来週の一言」に変更されたが、前述の地上アナログ放送がレターボックスでの放送移行に伴い、同年10月以降は統一のスタジオで歌っている映像をバックに表示されていて、タイトル部分の「来週の一言」の表示は廃止された。
次回予告
- 2001年3月まで:スタジオで歌っている映像バックでエンディングの提供読みを担当した女性によるアナウンスだった(1989年3月までは中村啓子がアナウンスをしていた)
- 2001年4月から2009年9月まで:前述の土曜18時の枠移動に伴い、四角に抜かれた部分に次回からの出演者映像が映っているバックで鈴木杏樹と恵俊彰がアナウンスをしていた
- 2009年10月以降:地上アナログ放送がレターボックスでの放送に移行したのに伴い、一部の回を除き次回からの出演者の紹介映像バックと司会者と出演者がトークをしている映像バックとなった(ナレーションは一部の回を除き、引き続き鈴木杏樹と恵俊彰)
エンディングの提供読み
「皆様の健康と幸福に奉仕する シオノギ製薬がお送りしました。」というナレーションである。長らく次回予告のナレーションを担当した女性によるアナウンスだった(1989年3月までナレーターは中村啓子)が、前述の土曜18時の枠移動に伴い、2001年4月から2012年2月までは固定の女性によるアナウンス、2012年3月以降は再び、次回予告をナレーションを担当したアナウンス(ナレーターは鈴木杏樹)となった。
出演者について
番組スポンサーがシオノギ製薬であるため、スポンサー以外の製薬会社のCM出演者は、原則として出演できない。「MUSIC FAIR 21」に改題される前はインディーズで活動する歌手においてもメーカー問わずに出演はしなかった。
過去には大正製薬の育毛剤CMの契約中だった中村雅俊、武田薬品工業の滋養強壮剤CMソングの契約中だった斉藤和義が出演したことがある。これはシオノギが当時から育毛剤、滋養強壮剤を製造販売していないことによる例外である。
公開収録
初期10年程は公開収録を行っていたが、その後は番組の節目ごとに行われるのみとなり(2001年3月までの日曜日時代の23時台前半枠も番組の節目ごとに行われていた)、通常の収録は限られた関係者しかスタジオに入ることができない(観客の拍手・笑い声があるが、いずれも編集時にインサートしたもので実際にはスタジオ内に観客はいない)。ただし、『MUSIC FAIR 21』では開始から半年程はスタジオに100名前後の観客を入れた公開収録が行われていたほか、その後も不定期ながらも行われていた(記念撮影のコーナーでは、一時期観客席でも行われていた)。なお、『MUSIC FAIR』改題後は今のところスタジオでの公開収録は行われていない。
公開収録は東京のほか、スポンサーの塩野義製薬が本社を置く大阪(フェスティバルホールなど)でも行われている[13]。公開収録はこれまで1日のみだったが、2014年2・3月に放送された2,500回記念特別月間では放送開始50周年を記念して初めて1月30・31日の2日間公演として行われた。[14]。
なお、大阪厚生年金ホールで収録された放送1,100回記念(1986年3月23日・30日放送分/全2回)と、前述の放送2,000回記念(2004年6日・13日・20日・27日放送分/全4回)は、横浜市にある放送ライブラリーに所蔵されており、無料で視聴することが可能である。
歴代司会者・正式タイトル・放送時間
期間 | 司会者 | 正式タイトル | 放送時間 | ||
---|---|---|---|---|---|
女性 | 男性 | ||||
1964.08.31 | 1964.12.28 | 越路吹雪 | (不在) | シオノギ・ ミュージックフェア '64〜'95 |
毎週月曜日21:00 - 21:30 |
1965.01.04 | 1965.05.31 | 左幸子 | |||
1965.06.07 | 1969.03.31 | 南田洋子 | 長門裕之 | ||
1969.04.01 | 1981.09.29 | 毎週火曜日21:30 - 22:00 | |||
1981.10.01 | 1981.12.24 | 毎週木曜日22:30 - 23:00[15] | |||
1982.01.07 | 1983.09.29 | 星野知子 | (不在) | ||
1983.10.02 | 1988.03.27 | 毎週日曜日23:00 - 23:30[16] | |||
1988.04.03 | 1995.03.26 | 古手川祐子 | |||
1995.04.02 | 1995.10.01 | シオノギ MUSIC FAIR '95・'96 | |||
1995.10.08 | 1996.09.29 | 鈴木杏樹 | |||
1996.10.06 | 1999.12.26 | SHIONOGI MUSIC FAIR '96〜'99 | |||
2000.01.02 | 2001.03.25 | SHIONOGI MUSIC FAIR | |||
2001.04.07 | 2008.09.27 | 恵俊彰 | SHIONOGI MUSIC FAIR 21 |
毎週土曜日18:00 - 18:30 | |
2008.10.04 | 2016.03.26 | SHIONOGI MUSIC FAIR | |||
2016.04.02 | (予定) | 仲間由紀恵 | 軽部真一 |
- 長門・南田時代は長門がトップクレジット扱い。週によって長門または南田が単独で進行するケースがあった[17]。
- 軽部はフジテレビアナウンサー。
最多出演者
- 女性最多出演者
- 森山良子:1967年8月14日初出演以降127回出演(2014年2月14日時点)[18]
- 男性最多出演者
- さだまさし:1976年3月23日初出演以降82回出演(2014年2月14日時点)[18][19]
主なスタッフ
- エグゼクティブプロデューサー:石田弘
- プロデューサー:板谷栄司、土田芳美、河本晃典
- アシスタントプロデューサー:福井倫子(放送回によりディレクター)、湯瀬恵理子
- ディレクター・演出:大野悟、島田和正、太田秀司
- 音楽:武部聡志
- ウェブマスター:鬼熊陽一郎
2007年10月から、「音組」(『僕らの音楽』などを手がけるスタッフチーム)が担当し、若返りを図る。また、その回の企画(総集編など)によってはスタッフや制作協力などのクレジットが表示されず、“制作著作 フジテレビ”のみ表示されることがある[20]。2009年9月までは一部の回を除きエンディングテーマに乗せながらのフェード式だったが、前述の地上アナログ放送がレターボックスでの放送に移行したことに伴い、同年10月以降は次回予告バックのスクロールパターン式となった。 2014年7月19日の放送が音組が手がける最後の放送となる。[21]
テーマ曲
オリジナル
ネット状況
現在のネット局
(2000年7月以降)
放送対象地域 | 放送局 | 放送曜日と時間 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | フジテレビ(CX) | 土曜 18:00 - 18:30 (JST) | 制作局 |
北海道 | 北海道文化放送(UHB) | 1981年10月 - 1982年3月の間は放送中断。 | |
岩手県 | 岩手めんこいテレビ(MIT) | 番組スポンサーの塩野義製薬の工場がある系列局 | |
宮城県 | 仙台放送(OX) | 1981年10月 - 1983年9月の間は放送中断。 | |
山形県 | さくらんぼテレビ(SAY) | 1981年9月まではフジテレビ系列だった山形テレビで放送されていた。 | |
静岡県 | テレビ静岡(SUT) | ||
富山県 | 富山テレビ(BBT) | 1981年10月 - 1983年9月の間は放送中断。 | |
中京広域圏 | 東海テレビ(THK) | 1981年10月 - 1982年3月の間は放送中断。 | |
近畿広域圏 | 関西テレビ(KTV) | 番組スポンサーの塩野義製薬の本社がある地域の系列局 | |
岡山県・香川県 | 岡山放送(OHK) | ||
広島県 | テレビ新広島(TSS) | ||
愛媛県 | テレビ愛媛(EBC) | ||
高知県 | 高知さんさんテレビ(KSS) | ||
福岡県 | テレビ西日本(TNC) | 1964年10月から | |
長崎県 | テレビ長崎(KTN) | 日本テレビ系列を脱退した1990年10月からネットを開始。 | |
熊本県 | テレビくまもと(TKU) | ||
大分県 | テレビ大分(TOS) | 日本テレビ系列とのクロスネット局。 |
現在ネットしていない系列局
(2000年7月以降)
- 以下の放送局は本番組の放送は行っていない。ネットしていない系列局ではこの時間帯は別番組を放送。
放送対象地域 | 放送局 | 同時間枠で現在放送されている番組 | 備考(過去に本番組を放送した実績など) |
---|---|---|---|
秋田県 | 秋田テレビ (AKT) |
さんまのまんま(関西テレビ制作、18:00 - 18:30) | 1981年9月まで放送した実績がある。 |
福島県 | 福島テレビ (FTV) |
FTV みんなのニュース(自社制作、17:30 - 18:25) うつくしまの誇り(自社制作、18:25 - 18:30、一時期BSフジにて全国放送されたことがある) |
非ネット局で、1970年4月 - 1971年9月のフジテレビ系列が福島中央テレビ(現在は日本テレビ系列)にネット移行された際も未放送である。 週刊欽曜日(TBS制作)→パソコンサンデー(テレビ大阪制作)→演歌の花道(テレビ東京制作) |
新潟県 | 新潟総合テレビ(NST) | スマイルスタジアムNST(自社制作、18:00 - 18:55) | 参照[22] 全国の政令指定都市を持つ道府県の中で珍しい非ネット局。 新潟県の放送局は塩野義製薬との広告取引が非常に少なく、他局も含めて塩野義製薬のCMはスポットCMも含めてほとんど流れない。 ただし、新潟市内に塩野義製薬新潟分室がある。 |
長野県 | 長野放送 (NBS) |
NBSとれたて情報局 土曜はこれダネッ!(自社制作、18:00 - 19:00) | 1981年9月まで放送した実績がある。 |
石川県 | 石川テレビ (ITC) |
Cafe du Cinema(自社制作、18:00 - 18:20) ミニ番組(18:20 - 18:30) | |
福井県 | 福井テレビ (FTB) |
正直さんぽ(フジテレビ制作、18:00 - 18:55) | |
鳥取県・島根県 | 山陰中央テレビ(TSK) | さんまのまんま(関西テレビ制作、18:00 - 18:30) | |
佐賀県 | サガテレビ (STS) |
VS嵐(フジテレビ制作、再放送、18:00 - 19:00) | 参照[23] 「演歌の花道」(テレビ東京制作)の時差ネット放送開始に伴い打ち切り(時期不明) 1970年代には放送した実績がある(1975年3月25日の番組表から)。 |
宮崎県 | テレビ宮崎 (UMK) |
U-doki(自社制作、17:56 - 19:00) | 日本テレビ系列・テレビ朝日系列とのトリプルネット局。 |
鹿児島県 | 鹿児島テレビ (KTS) |
さんまのまんま(関西テレビ制作、18:00 - 18:30) | 参照[24] |
沖縄県 | 沖縄テレビ (OTV) |
ひーぷー☆ホップ(自社制作、18:00 - 18:55) | 1981年9月まで放送した実績がある[25]。 |
- ネットワークセールス枠であり、視聴者からの放送要望が挙げられる番組であるにも関わらず、上記の局で放送されていない理由としては、局の編成上の都合やスポンサーである塩野義製薬からの推薦と承認が上記の局に対して得られていないことが挙げられているが、真相は不明である(1981年9月まで放送していた局に対しては2度目の枠移動の際に塩野義製薬が打ち切りを通告した説もある)。ただし、塩野義製薬のCMがこれら番組のカウキャッチャーとして流れたりするケースはある。
- ネットしていない系列局ではこの時間帯にローカル情報番組、フジテレビ系列局制作の遅れネット、再放送番組などを放送している。特に4局体制(民放局が4局ある地域)[26]の非放送地域では本来、本番組を放送したいところであるが、やむを得ずローカル情報番組、フジテレビ系列の遅れネット番組などを流しているケースが多い。
- また、これら4局体制地域の場合は、かつては他系列を優先ネットとするクロスネットだった局(福島テレビ - TBS・鹿児島テレビ - 日本テレビ)が含まれる他、2〜3局体制だった時代が続いた地域(前記2局と新潟総合テレビ・長野放送・石川テレビ)だったという点が特徴である。しかし、これらは老舗(アナログ時代にVHF局であった福島テレビと沖縄テレビを除いて1970年前後のUHF大量免許期に開局)のフジテレビ系列局であることも奇しくも共通点であり、平成新局であるフジテレビ系列局(岩手めんこいテレビ・さくらんぼテレビ・高知さんさんテレビ)では3局体制の地域も含め、全て無条件[27]でネットされており、またテレビ長崎のように「クロスネット解消後からネット開始」という例もある。
- また、塩野義製薬・フジテレビ側も、スポンサードネット対象外局に対して「シオノギ」なしのタイトルに改題した上で番組販売扱いで放送可能とするなどの便宜を図っていない[28]。
- そして司会者の出身地の放送局だからとネットを開始もしくは終了という例もない[29]。
過去にネット実績のある放送局
全角カッコ内は現在の系列。
- 北海道 - 札幌テレビ(STV)(日本テレビ系列) - 北海道文化放送へ移行。
- 山形県 - 山形テレビ(YTS)(テレビ朝日系列) - 1981年9月まで[30]、山形県では1997年4月のさくらんぼテレビ開局まで15年半未ネットだった(実際には同年3月のサービス放送から)。
- 広島県 - 広島テレビ(HTV)(日本テレビ系列) - テレビ新広島へ移行。
- 山口県 - テレビ山口(TYS)(TBS系列) - 2000年6月まで、1987年10月のTBS系列へのフルネット局化後も同時ネットで放送していた[31]。
- 福岡県 - 九州朝日放送(KBC)(テレビ朝日系列) - 放送開始直後の短期間のみで、ネットチェンジによりテレビ西日本へ移行。
なお、北信越地方5県(富山県・新潟県・長野県・石川県・福井県)では前述のとおり以前は全県で放送されていたが、1981年9月までに打ち切られ、その後1983年10月より富山テレビに限りネットを再開した。同局は北信越地方で唯一のネット局となっている。
放送日時差し替えについて
- 現在では非ネット局であるテレビ山口では、1986年頃、一度だけ日曜夕方に先行放送をしたことがあり、日曜23時台前半枠時代ではフジテレビ系列がナイター中継で試合展開により放送時間が変更した場合、その分をVTRに録る。その場合は前に放送できなかった回を放送したことがある。
- クロスネット局であるテレビ大分では、日本テレビの2004年のアテネオリンピック野球予選の中継をした8月21日、2010年のバンクーバーオリンピック中継ネットに伴い2月20日および同月27日の回に関しては、いずれも翌日に放送日時を差し替えた。その他、日本テレビから特番(主にスポーツ番組等)をネットする場合に翌日や翌週に差し替える場合がある(ロンドンオリンピック中継、2012年の日本シリーズ中継など)。
脚注
- ^ a b “鈴木杏樹『MUSIC FAIR』涙で卒業発表 恵俊彰と3月末でラスト”. 2016年2月19日閲覧。
- ^ 1週間に1回放送されているレギュラー番組。
- ^ 放送当時の朝日新聞縮刷版にて確認済。
- ^ 【追求学部】ネットの定説は嘘!製薬会社のCMのからくり|おもしろコミュニティ 緑count
- ^ ただし例外として、過去にロート製薬がTBS『クイズダービー』や毎日放送『アップダウンクイズ』・『クイズ!!ひらめきパスワード』が1時間スペシャルを放送したとき、および大洋薬品がテレビ東京『歌の楽園』新春1時間スペシャルを放送した時に、それぞれ1社提供を行った特例がある。また、『大正テレビ寄席』などテレビ朝日制作日曜正午の大正製薬1社提供枠と同枠を毎日放送→朝日放送が企画ネット扱いで差し替えた吉本興業制作演芸番組枠は45分番組だった。
- ^ フジテレビ系列では関西テレビ放送製作の月曜22時枠(現・SMAP×SMAP かつては水曜22時、火曜22時だった時代もある)は2010年3月まで、前半がロート製薬単独、後半はロート以外の複数協賛社提供としていたが(特番など例外的に1時間と通してロート製薬を含めた複数協賛社扱いとなる場合となっていた)、同年4月以降はセールス上によりスポンサーが大幅増大し、事実上、ロートは冠協賛から外れ、P&Gが冠協賛が入った複数協賛社(各社扱い)の一つに格下げした。
- ^ また過去に土曜日に放送されていた平成教育委員会の初期は、1時間を通してツムラが冠スポンサーとして協賛していたが、同様の処置としてツムラ単独での提供は前半30分だけとし、後半はツムラ+その他複数協賛社の共同提供という処置をとったことがあり、1994年4月以降はツムラを含めた複数社提供になった。
- ^ 食事ができる人は司会者および出演者に限られていたが、例外としてウルフルズが出演していた2001年5月12日放送分では観客にも配られたことがある。
- ^ なお、『2010 FNS歌謡祭』は12月12日13:00 - 17:10(JST)に時差ネットされた。
- ^ 日本シリーズを中継しないテレビ大分でも休止となり、2年連続で『新堂本兄弟』に差し替えられた。
- ^ ビデオリサーチ社調べ
- ^ 2000年以降は西暦4桁。
- ^ 2000年以降では、放送2,000回記念特別月間(2004年3月6日 - 27日放送分)、放送2,200回記念特別月間(2008年3月)、放送2,400回記念特別月間(2012年3月)、並びに放送2,600回記念特別月間(2016年3月)が東京国際フォーラムにて収録されている。
- ^ “MUSIC FAIR 2500回記念コンサート”. フジテレビ. 2014年4月5日閲覧。
- ^ 東海テレビでは、木曜に移動して最初の半年間(1981年10月-1982年3月)はネットを中断していたが、1982年4月にネットを再開。
- ^ 関西テレビでは1983年10月 - 1984年3月の間、土曜日19:00 - 19:30の枠で先行ネットしていた。これは『パンチDEデート』の放送(こちらはフジテレビなど地域により、土曜日19時からネットしていた。関西テレビは、ネット局より1日遅れだったため裏送り)を行った配慮とされている。
- ^ 例として、1969年11月25日放送分は長門が単独で進行
- ^ a b 鶴田裕介「「ミュージックフェア」放送50年」『読売新聞』2014年2月14日付朝刊、12版、14面、文化面
- ^ 板垣麻衣子「歌おう踊ろう 2500回」『朝日新聞』2014年2月26日付夕刊、3版、14面
- ^ 大阪での公開収録では“製作協力:関西テレビ”も表示されていたこともあった(一例として2,100回特別月間など)。
- ^ “きくちPの音組収録日記 2014/06/24『MUSIC FAIR』八神純子×乃木坂46×後藤次利/スキマスイッチ×雨宮天/クリス・ハート×秦 基博/長山洋子/ゴスペラーズ/miwa/キング・クリームソーダ 収録”. フジテレビ. 2014年6月26日閲覧。
- ^ 1968年12月 - 1973年12月、NET制作の時代劇枠同時ネットに伴い打ち切り。
- ^ 土曜18:30からの枠がスペシャル版が放送される日は「VS嵐」の再放送は休止して、同枠の30分間は別番組を放送する。
- ^ 土曜18:30からの枠がスペシャル版が放送される日は「さんまのまんま」を休止または同日の昼か夕方へ繰上げ放送して、同枠で「ナマ・イキVOICE」(自社制作)がこの時間で放送される場合がある。
- ^ なお、ネット開始当初は時差ネット(土曜21:30 - 22:00)で放送していた。
- ^ 4局体制の非ネット地域は福島・新潟・長野・石川・鹿児島の5県
- ^ 岩手地区では金ケ崎町に塩野義製薬の工場があることから、岩手めんこいテレビが開局した当初からネットされている。
- ^ タイトルCGや提供ベースにあらかじめシオノギのロゴ・社名が組み込まれているため、もしこれを行うとすれば、社名なしのオープニングと、任意のローカルスポンサー名表示に対応した空欄の提供ベースのバージョンを作って裏送りしなければならない。
- ^ 星野知子以降の司会者で非ネット地域出身者は星野(新潟県)、恵俊彰(鹿児島県)、仲間由紀恵(沖縄県)の3人。
- ^ 同局での番組枠確保と、塩野義製薬からの通告による打ち切りなどでネットチェンジを含めて空白になった時期になったものもある。
- ^ ただし1981年10月から1983年9月までは放送されていなかった。なお、この番組の放送打ち切り後も別のフジテレビ系列の番組(例・『さんまのまんま』(関西テレビ制作))を遅れ放送していたが、2002年以降、前年より時差ネットで放送していた『情熱大陸』(毎日放送制作)の同時ネットに移行した。また、これによりフジテレビ系列外でのネットを廃止した。
関連項目
- 塩野義製薬
- FNS歌謡祭
- FNSうたの夏まつり
- とんねるずが生放送!音楽番組全部見せます!!-名曲で元気になろう-
- FNS名曲の祭典 秘蔵映像で振り返る55年 -NO MUSIC, NO TV.-
- THE ALFEE - 当番組とコラボレートをしたDVDをリリースしている。
- ザ・ビッグショウ - 当番組より3年前の1961年10月から同局で放送された塩野義製薬提供の音楽番組
- とんねるずのみなさんのおかげです - 本番組のスタッフが関わっている。また、「ミュージカルフェア」と題した殺人事件タッチのパロディが同番組内で放送されたことがあった。内容は、当時司会になったばかりの鈴木杏樹(本人出演)の殺害を狙う(実際には、木梨憲武扮する別の芸能人が殺害されるという設定)というもので、容疑者が前任司会者の古手川祐子のパロディで石橋貴明扮する「古手川原祐子」であった。
外部リンク
- フジテレビ『MUSIC FAIR』 - 公式サイト
- シオノギ・ミュージックフェア - 塩野義製薬
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