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フレデリック・ウィレム・デクラーク

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フレデリック・ウィレム・デクラーク(1936年 - )は、南アフリカ共和国の政治家で、白人体制最後の大統領。アパルトヘイト体制の解体、アパルトヘイト関係法の全廃に大きな役割を果たした。

1936年にヨハネスバーグ市で生まれる。1958年にポッチェフストローム大学の法律科を卒業。 弁護士を経て、1972年に国民党(NP)の国会議員に選ばれ、父の後を継いで政界入り。 1978年に郵政相に就任し、その後1982年に内相、NPの旧トランスバール州代表に選ばれた。1984年からは国民教育相、白人閣僚評議会議長を務めた。1989年2月、大統領ボータの後任としてNP党首に指名され、同党の次期大統領候補に推挙、8月から大統領代行の後、9月に正式に大統領に選出された。

大統領に就任したデクラークは今までの政府(国民党)の方針から方針転換し、黒人達との交渉によって南アフリカを決めていくといった現実的で柔軟な民主改革路線をとった。その政策方針により、アフリカ民族会議(ANC)やパン・アフリカニスト会議(PAC)、南ア共産党の非合法化を解除し、アフリカ民族会議指導者のネルソン・マンデラを釈放した。1990年6月には非常事態宣言も解除して、1991年2月に国会開会演説ですべてのアパルトヘイト法を廃止すると宣言し、6月には人口登録法、原住民土地法、集団地域法を廃止した。これによりアパルトヘイトが法律上なくなった。

1993年度マンデラと共にノーベル平和賞を受賞した。

1994年5月にマンデラ政権の第二副大統領に就任。 1996年5月9日にアフリカ民族会議との連立政権をやめ、国民党が野党になることを宣言。同6月末に第二副大統領辞任。 1997年9月NP党首を辞任して政界から引退した。