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エジウソン・ダ・シルバ・フェレイラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エジウソン
名前
本名 エジウソン・ダ・シルバ・フェレイラ
Edílson da Silva Ferreira
愛称 褐色の弾丸
ラテン文字 EDÍLSON
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1970-09-17) 1970年9月17日(54歳)
出身地 サルヴァドール
身長 167cm
体重 61kg
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990 ブラジルの旗 インドゥストリアルEC
1991 ブラジルの旗 タナビEC
1992 ブラジルの旗 グアラニFC
1993-1994 ブラジルの旗 SEパルメイラス 20 (8)
1994-1995 ポルトガルの旗 SLベンフィカ 22 (7)
1995 ブラジルの旗 SEパルメイラス 21 (10)
1996-1997 日本の旗 柏レイソル 54 (44)
1997-1999 ブラジルの旗 コリンチャンス 57 (20)
2000 ブラジルの旗 CRフラメンゴ 33 (5)
2001-2002 ブラジルの旗 クルゼイロEC
2002-2003 日本の旗 柏レイソル 16 (7)
2003 ブラジルの旗 CRフラメンゴ 27 (13)
2004 ブラジルの旗 ECヴィトーリア 35 (19)
2005 アラブ首長国連邦の旗 アル・アインFC 14 (15)
2005 ブラジルの旗 ADサンカエターノ 27 (7)
2006 ブラジルの旗 CRヴァスコ・ダ・ガマ 10 (0)
2007 ブラジルの旗 ECヴィトーリア 9 (1)
2010 ブラジルの旗 ECバイーア
2016 ブラジルの旗 CAタボン・ダ・セーハ
通算 345 (156)
代表歴
1993-2002 ブラジルの旗 ブラジル 21 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エジウソン (Edílson) こと、エジウソン・ダ・シルバ・フェレイラ(Edílson da Silva Ferreira、1970年9月17日 - )は、ブラジルバイーア州サルヴァドール出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。日本での愛称は褐色の弾丸

経歴

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167センチと小柄ながら抜群のスピードと類い稀なるゴールへの嗅覚で得点を挙げるストライカー[1]

1993年に移籍したパルメイラスにて1993年と1994年のブラジル全国選手権連覇に貢献[1]。1994-95シーズンにはポルトガルのベンフィカで1シーズンプレー。1996年2月、パルメイラスから日本の柏レイソルに移籍、1996年3月20日の名古屋グランパスエイト戦でJリーグ初ゴール[2]1997年9月まで在籍[3]。3月23日、ヴェルディ川崎戦のゴールはJリーグ30周年ベストゴールのテクニカル部門にもノミネートされた[4]。1996年のJリーグでは得点ランキング2位の21ゴールをあげ、翌年もシーズン途中に退団した影響で25試合の出場ながら[1]、23ゴールを記録[3]。1996年5月4日の第12節ガンバ戦(万博記念競技場)で1試合5得点のJリーグ・リーグ戦タイ記録打ち立てている(7-1で勝利)、他に野口幸司中山雅史呂比須ワグナーが1回ずつ達成している。)同年5月18日のジュビロ磐田戦でもハットトリックを決めている[5]。1997年、2ndステージの第2節の清水エスパルス戦では、延長戦の試合中に倒れ、試合を止めるように主審にアピール。ゲームが止まるかと思われた中、目の前にボールが転がってくると、急に立ち上がりエスパルスゴールへ向かって突進し、Vゴールを決めた。このVゴールでの勝利により、清水エスパルスサポータが試合後にレイソルのチームバスを囲む騒動となった、このトラブルがレイソル退団の引き金となり、[要出典]コリンチャンスへ移籍した。

1997年から2000年まで所属したコリンチャンスでは、1998年と1999年ブラジル全国選手権連覇、2000年の世界クラブ選手権優勝の原動力として活躍、自身も1998年のボーラ・ジ・オーロと2000年の世界クラブ選手権MVPに輝いている[1]フラメンゴクルゼイロを経て、2002年W杯南米予選では30代ながらも衰えを感じさせないプレーをしブラジルをワールドカップ出場と優勝に貢献した。

ワールドカップ終了後に柏レイソルに復帰したが[6]、かつての程の活躍は見せられず、16試合7ゴールに終わった[2]。2003年シーズンは、開幕後もチームに合流しなかった為、解雇された[1]。2006年前半にはヴァスコ・ダ・ガマにてロマーリオとの2トップを組んだ。

代表

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ブラジル代表に初選出されたのは1993年。一時期代表から外れていたものの、2001年に就任したフェリペ監督のもとで再招集され、2002年W杯南米予選終盤で活躍。本大会でも4試合に出場して優勝に貢献した[1]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1990 インドゥストリアル
1991 タナビ
1992 グアラニ セリエA 0 0
1993 パルメイラス 20 8
1994 0 0
ポルトガル リーグ戦 リーグ杯ポルトガル杯 期間通算
1994-95 ベンフィカ 22 7
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1995 パルメイラス セリエA 21 10
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1996 - J 29 21 14 6
1997 10 25 23 6 8 - 31 31
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1997 コリンチャンス セリエA 9 1
1998 28 15
1999 20 4
2000 フラメンゴ 16 2
2001 クルゼイロ 17 3
2002 0 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 34 J1 16 7 1 0
2003 8 0 0 - - 0 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2003 フラメンゴ セリエA 27 13
2004 ヴィトーリア 35 18
UAE リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2004-05 アル・アイン UAEリーグ 20 22
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2005 サンカエターノ セリエA 27 7
2006 ヴァスコ・ダ・ガマ 10 0
2007 ヴィトーリア セリエB 9 1
通算 ブラジル
ポルトガル 22 7
日本 J1 70 51 21 14
UAE 20 22
総通算

個人タイトル

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  • 1998年 ボーラ・ジ・オーロ (ブラジル全国選手権最優秀選手賞)
  • 1999年 ボーラ・ジ・プラッタ (ブラジル全国選手権ベストイレブン)
  • 2000年 世界クラブ選手権最優秀選手賞
  • 2001年 リオ・デ・ジャネイロ州選手権 得点王

代表歴

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出典

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  1. ^ a b c d e f 柏レイソル、歴代最強外国籍選手7人。マラドーナの元相棒から王国の魔術師、強烈アフリカンFWまで”. www.footballchannel. 2020年4月23日閲覧。
  2. ^ a b エジウソン”. data.j-league. 2020年4月23日閲覧。
  3. ^ a b エジウソン選手の移籍について』(プレスリリース)柏レイソル、1997年9月22日。オリジナルの2003年2月14日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20030214084222/http://www.reysol.co.jp:80/news/97092200.html2017年10月31日閲覧 
  4. ^ J30 BEST AWARDS”. JLEAGUE. 2024年9月10日閲覧。
  5. ^ J1 ハットトリック”. data.j-league. 2020年4月23日閲覧。
  6. ^ エジウソン選手移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)柏レイソル、2002年7月10日。オリジナルの2002年8月8日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20020808075625/http://www.reysol.co.jp:80/news/2002071001.html 

関連項目

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外部リンク

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