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オリンパソン'80

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オリンパソン'80
番組の生放送が行われたテレビ朝日旧社屋
ジャンル モスクワオリンピック関連大型特別番組
出演者 総合司会
久米宏
ジュディ・オング
各コーナー出演者
溝口泰男
砂川啓介
キャロライン洋子
川崎敬三
ゴダイゴ
ザ・ドリフターズ
西城秀樹
ドラえもん大山のぶ代
ほか
ナレーター 三國一朗(映画『東京オリンピック』)
製作
制作 テレビ朝日
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1980年5月5日 - 同年5月6日
放送時間月曜8:30 - 火曜1:30
放送分1020分
回数1
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オリンパソン'80』は、テレビ朝日1980年5月5日午前8時30分から5月6日午前1時30分にかけて公開生放送した、モスクワオリンピックの事前キャンペーン番組である。

概要

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テレビ朝日は1977年3月[注釈 1]国際オリンピック委員会(IOC)との契約締結によりモスクワオリンピックの独占生中継を行うことを決定し、開催前年の1979年から関連のシリーズ番組を多数企画しており、この『オリンパソン'80』もその一環として実施された。題名は「オリンピック」と「テレビマラソン」の合成語である。

総合司会に久米宏ジュディ・オングを起用し、西城秀樹による五輪中継のイメージテーマソング「俺たちの時代」披露、ドラえもんザ・ドリフターズゴダイゴなどとのコラボレーション企画などが予定されていた。

しかし、1979年のソビエト連邦軍によるアフガニスタン侵攻をきっかけに、西側諸国を中心とした参加ボイコット運動が盛んに行われた影響もあり、予定していた内容を一部変更して、「日本はモスクワ五輪に参加するべきか否か」と称したアンケート調査を実施しながら展開することになった[1]。当初は「参加すべき」とする意見が圧倒的だったが、のちに「ボイコットすべき」とする意見が一時的に増えたものの、最終的には「参加すべき」が9973件、「ボイコットすべき」が9263件でわずかながら前者が上回った。

その後、5月24日日本オリンピック委員会(JOC)は日本の不参加を正式に表明。テレビ朝日も大会のテレビ中継を「日本アメリカ合衆国西ドイツ中国などが参加しない五輪では、放送としても番組としても妥当とは言えない」として一旦は断念を決定。しかし、業界からの批判もあり、規模を一部縮小して予定通り行われることになった。

放送内容

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「世界こどもオリンピック」の会場となった「豊島園」の入口
司会:溝口泰男渡辺直子銅谷志朗(当時テレビ朝日アナウンサー)
主にスポーツ関連の情報を放送。
  • 9:30:世界こどもオリンピック
司会:砂川啓介キャロライン洋子
(日本を含む)世界33カ国の子供が参加するスポーツイベント。しかしその内容は「綱引き」・「障害物競走」・「リレー」・「玉ころがし」などと、運動会その物。会場は豊島園
「アフタヌーンショー」の生放送が行われた銀座ソニービル
司会:川崎敬三今村優理子
銀座ソニービルからの中継。「激論オリンピック」と題し、モスクワオリンピックに参加するか否かを討論する。出演者は上田哲(政治家)、竹村健一(政治評論家)、大島渚(映画監督)、筑紫哲也(当時:朝日新聞記者)の4名。
  • 13:00:揺れ動くオリンピック
日本のメダリスト50名を迎え、過去のオリンピックを振り返る。
この時期の平日午後のスポットニュースは、通常は15:55に編成されていたが、当日はこの時間に繰り下げた。
この時期の平日18時台報道番組は、18:00が各局別報道番組(テレビ朝日は『6時のサテライト』)またはアニメなどの再放送・遅れネット枠(広島ホームテレビなど)、18:30が『ニュースレーダー』となっていたが、当日は18:30に後述の『ドリフと秀樹とドラえもん』を放送するため『ニュースレーダー』を繰り上げ、『6サテ』の代替として18:20に『ANNニュース』を編成、同時に全国ネットとした。そのため、首都圏のローカルニュースでありながら、都合全ネット局で夕方のニュースが二回連続で放送される事態となった。
  • 18:30:バラエティーショー ドリフと秀樹とドラえもん
出演:ザ・ドリフターズ西城秀樹ドラえもん大山のぶ代
声の出演:大山のぶ代、横沢啓子小原乃梨子たてかべ和也肝付兼太野村道子ほか
脚本:松岡清治山田隆司
演出:森脇真琴
初の40分台単発アニメにしてアニメオリジナル作品。のび太ジャイアンとのボクシング勝負に負けて悔しがるのを見て、ドラえもんとドラミは密かに「重力が少ない地球に似た惑星」にのび太を連れて行く。
西城秀樹がモスクワオリンピック応援歌「俺たちの時代」を発表。
1965年東宝作品
総監督:市川崑
脚本:市川崑、和田夏十白坂依志夫谷川俊太郎
ナレーター:三國一朗

脚注

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注釈

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  1. ^ 当時の社名は日本教育テレビ。

出典

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  1. ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(55年5月)」『月刊民放』第10巻第8号、日本民間放送連盟、1980年8月1日、50頁、NDLJP:3470936/26 
  2. ^ 参考:1980年5月5日付「東京新聞」8面掲載の「5月5日用ラジオ・テレビ欄

関連項目

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