コンテンツにスキップ

牛山充

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

牛山 充(うしやま みつる、1884年6月12日 - 1963年11月9日[1])は、日本の音楽学者、舞踊浮世絵評論家翻訳家。旧姓は百瀬。

生涯

[編集]

長野県諏訪郡四賀村諏訪市四賀)生まれ。高島小学校卒業後、1913年東京音楽学校甲種師範科卒[1]高野辰之田村寛貞に師事し、在学中、学友会誌「音楽」の主筆・編集長を務めた。1912年には学友会主宰の「土曜演奏会」を始めた。また東京外国語学校正則英語学校に通い、英語を習得し、海外音楽理論の翻訳に着手した。東京音楽学校講師を経て、教授。1922年から「東京朝日新聞」の音楽・舞踊欄を担当した。

1934年8月から「月刊楽譜」主筆を務めた[1]。1938年4月に行われた第6回日本音楽コンクールではバイオリン部門の審査員を務める[2]。1939年に新興作曲家連盟入会[1]

1961年東京バレエ学校を創立、校長。1952年文部大臣賞、1960年紫綬褒章受勲。日本浮世絵協会理事。NHK洋楽諮問委員、文部省芸術祭執行委員、舞踊コンクール、邦楽コンクールの審査員を務めた[3]。 

著書

[編集]
  • 『名曲解説』(京文社、音楽叢書) 1923
  • 『音楽鑑賞の智識』(京文社、音楽叢書) 1924
  • 『洋楽鑑賞知識』(京都印書館) 1948
  • 『音楽鑑賞講話』(音楽之友社) 1952

共編著

[編集]
  • 国貞百選画集 続編』(編、画報社) 1928
  • 『国貞風俗百選画集』(編、画報社) 1928
  • 『浮世絵競艶画集』(編著、浮世絵新聞社) 1930
  • 『レコード音楽全集 第3巻 演奏様式と演奏家』(増沢健美共著、三省堂) 1938

翻訳

[編集]
  • 『方法論』(ルネ・デカルト、越山堂、世界名著文庫) 1919
  • 『教養論 原名・セルフカルチャア』(ジョン・ブラッキイ、越山堂、世界名著文庫) 1920
  • 『独唱の仕方』(リルリ・レーマン、近代文明社) 1922
  • バイロン詩集』(越山堂) 1922
  • 『ピアノの弾き方』(ヨーゼフ・ホフマン、近代文明社) 1922
  • 塹濠の四週間 ヴアイオリニストの実戦記』(フリッツ・クライスラー、噴泉堂) 1923
  • シエリー詩集』(聚英閣、泰西詩人叢書) 1923
  • 『ピアノ演奏法』(ヨーゼフ・ホフマン、京文社、音楽教育叢書) 1929
  • 『声楽法』(リルリ・レーマン、京文社、音楽教育叢書) 1929
  • 『Twenty elementary and progressive vocalises』(サルヴァトーレ・マルケージ、シンキヤウ社) 1936
  • ハンスリックの音楽美論』(田村寛貞訳著、牛山訳補、音楽之友社) 1956

論文

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d ドキュメンタリー新興作曲家連盟 戦前の作曲家たち : 1930~1940. 国立音楽大学附属図書館, 1999, p362
  2. ^ 日比谷公会堂でコンクール第一夜『大阪毎日新聞』(昭和13年4月10日)『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p.58 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  3. ^ コトバンク・日本人名大辞典+Plus・牛山充及びコトバンク・20世紀日本人名事典・牛山充

参考文献

[編集]