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鎌倉健

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鎌倉 健
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県川之江市(現:四国中央市
生年月日 (1984-11-25) 1984年11月25日(39歳)
身長
体重
190 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 ドラフト3巡目
初出場 2003年9月30日
最終出場 2006年6月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

鎌倉 健(かまくら けん、1984年11月25日 - )は、愛媛県川之江市[1](現:四国中央市)出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

来歴

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プロ入り前

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2002年第84回全国高等学校野球選手権大会で、浦和学院高校須永英輝と投げ合った。終盤で浦和学院に逆転されたがその後再逆転し、サヨナラ勝ちを収めている。また、この試合で鎌倉は左翼へ本塁打を放っている。 この大会では鎌倉を擁した川之江高校は、仙台西、浦和学院、桐光学園、遊学館を破って同校初の4強進出を果たす[1]が、優勝した同じ四国勢の明徳義塾高校に準決勝で敗れた。(同大会では8強に四国4県が全て残り、四国勢の強さを印象付けた。) また、同年の国体では、川之江高校は初優勝を果たした[1]

高校卒業後は亜細亜大学入りが内定していたがプロ入りへ方針を切り替え、2002年のプロ野球ドラフト会議で、日本ハムファイターズからドラフト3巡目で指名を受け入団した[1]

日本ハム時代

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プロ1年目となる2003年9月30日の大阪近鉄バファローズ戦でプロ初登板。

3年目の2005年には先発で7勝を挙げたが、右肘の関節を包む滑膜に炎症が起きており、シーズンオフにクリーニング手術を受けた[2]

2006年に復帰し、主に中継ぎで7試合に登板。2007年には、一軍・二軍を通じて登板試合がなかった。同年閉幕後に戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトに参加したが、獲得する球団はなく現役引退した。

現役引退後

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引退後は、兵庫県加古川市でヤングリーグの東加古川レッドアローズ小学部の監督を務めるほか、元オリックス・ブルーウェーブ高橋功一と野球塾を運営している[3][2]

選手としての特徴

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サイドスローながら、トルネード投法に似た身体のねじりから球を繰り出す特徴のある投球フォームで、通称トルネードサイドと呼ばれていた[2]

肘を手術する以前は、最速140km/h台後半のストレートスライダーを武器にしていた。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2003 日本ハム 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 19 3.0 7 0 1 0 2 3 0 0 3 3 9.00 2.67
2005 19 16 0 0 0 7 5 0 0 .583 398 92.0 107 15 22 1 2 40 1 0 45 38 3.72 1.40
2006 7 1 0 0 0 0 2 0 1 .000 43 10.2 7 2 4 0 1 4 2 0 6 5 4.22 1.03
通算:3年 28 17 0 0 0 7 7 0 1 .500 460 105.2 121 17 27 1 5 47 3 0 54 46 3.92 1.40

記録

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背番号

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  • 12 (2003年 - 2007年)

脚注

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  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、160ページ
  2. ^ a b c ダルが、糸井が-SNSで名指しした鎌倉健って何者? 本人は「何で俺なん」と苦笑い”. 神戸新聞NEXT (2021年7月21日). 2022年1月24日閲覧。
  3. ^ 東加古川レッドアローズ[1]、2015年10月3日閲覧

関連項目

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外部リンク

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